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とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

生きる意味

なぜ生きる

生まれてしまったから生きるしかない。ほとんどの人はそうだろう。

でも何のために自分は生きているのか、考えない人はないだろう。

どうして生まれてきたのか、そしてどこへいくのか。

唯物論者は、ここではご遠慮願いたい。

生きる意味、何があるのか。

普通に考えると自分の欲望(煩悩)を満たすことを第一とするために生きる。

ところがそれで満足できるかというと、さらに心が何かを欲する。

もっと幸せを感じたい。満足したい。

健康でいたい。長生きしたい。さらに心がもっと充実していたい等々。

 

Q1:何のために生きているのか。

A1:幸せになるために生きている。

Q2:では、どうなったら幸せか。

A2:自分の欲望が満足させられたら幸せである。

Q3:すべての欲望を満足させることが可能か。

A3:不可能である。

Q4:では、幸せになることは出来ないのか。

A4:すべての欲望がもし満たされれば満足するかもしれない。

Q5:すべての欲望が満たされると言うことがこの世の中にあると思うか。

A5:すべての欲望が満たされると言うことはあるとは思えない。

Q6:仮にすべての欲望が満たされたら満足して死ねるか。

A6:死を前にしたらどんな幸せも関係なくなると思う。

 

やはり、最後は死を目前に考えたときすべてが無意味に思えてくる。

ちょっと誘導的なのでまず一つ考えてみる。

 

幸せとは何か。

 

自分の欲望が満足している状態か。

自分は死にそうで苦しいときに幸せを感じられるか。

たぶん無理でしょう。

では、なにもかもうまくいっているならそれで本当に幸せか。

ある程度は幸せだろうが・・・。

さて、幸せとは何か。

ある人にとっての幸せが別の人には不幸になるとすると幸せとは非常に自己満足的で相対的なものなのかもしれない。

絶対的な幸せと相対的な幸せがあると考えるべきなのか。

 

結局、 私には何も分からない。ただ、、南無阿弥陀仏によって私が迷っていることを知らされ、そのことについて疑いの無い自分にさせられていることが不思議である。

 

そう言いながら自分の生活が良くなることは幸せと思っているのは間違いないのである。そして、それが仏法から見れば価値のないものでもやはり今の生活には大事なのである。馬鹿ですね。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏