とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

友達の死

人が死ぬ 人が死ぬとぞ思いきに 自分が死ぬとは こりゃたまらん

大田南畝を自分流に変えてみました)

数年前、友達がガンで亡くなりました。

ガンで亡くなる数ヶ月前、家族から末期のガンであることを知らされました。

どうしたらいいのか考えあぐねていたとき、ある先輩に相談しました。

そしたら、「君が今喜んでいることを伝えたら良いんじゃないの」と言われはっと気がつきました。

私が何に救われたのか、何をたのみにしているのか、そして、今、何を喜んでいるのか。

心は定まり、友達を面会しに行きました。

一目見て変わり果てた姿に不覚にも涙をこぼしていました。

友達は困惑した顔をしていまた。

そして、勇気を出して友達に伝えました。

「学生時代から悩んでいたが、俺は今、浄土真宗の教えで救われた。南無阿弥陀仏に救われた。このご法話を聞いてくれ。かならず救われる。それに南無阿弥陀仏はお金がかからない。」

そう言ってご法話の入っているMP3プレーヤーを渡しました。

お見舞いの後は、なぜか自分ではスッキリしていました。しかし友達の家族は複雑な顔をしていました。

お見舞いの後、ご法話を聞いているのか心配になり携帯にメールしました。

そしたら聞いている、心配するなとメールが返ってきました。そして、元気になったら一緒にドライブに行こうとまで。

とても嬉しかったです。

数ヶ月して友達は無くなりました。

全く独りよがりかもしれません。友達の家族には本当に良かったのかどうか分かりません。しかし、葬儀に行ったとき友達の家族は喜んでくれました。

私は今は生きています。

いつかは命が終わります。

その時、私はどう覚悟できているのか。

友達に言ったことがそのまま私に返ってきます。

リバースのひろしさんがブログで病気のことを告白されました。

残念でなりません。一日でも長く生きて欲しいです。

しかし、次は私の番とは全く思っていません。

そう思いながらある日突然命が終わります。

無常とはこのことでしょう。

最後に私に何が残るのか。

ぼけてしまえばお念仏さえ忘れてしまうでしょう。

生きている今、聞かせてもらう、称えさせてもらうだけです。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏