親鸞会は勧誘のために信心偽装を使っています。
これほど最悪なことはありません。
まだ、不浄説法の方が良いくらいです。
不浄説法は、説く教えは正しいが、説く人にご信心が無い場合を不浄説法と言います。
お聖教に書かれたことをそのまま話すならご信心が無くても問題ありません。
お聖教に聖人はこう書かれていますとか、こう言われていますぐらいなら全く問題ありません。
ところが、親鸞会のように教えが間違っている上に、勧誘のために信心偽装するのは、それこそ邪教と同じなのです。
いや、邪教よりひどいと言えるでしょう。
なぜなら、阿弥陀様の教えを頂きながら絶対に救われない教えを教え続けるのですから、阿弥陀様の名の下に阿弥陀様と縁を遠ざけていることになります。
しかし、阿弥陀様とのご縁を結ばせるためには何をやっても良いという判断の下、講師にも会員にも信心を偽装させる判断は会長がされているのでしょう。
結局、信心偽装の副作用は阿弥陀様の本願を遠ざけてしまうことになります。
まじめな会員で信心偽装しながら罪悪感をもたれるならまだしも、信心偽装しながら罪悪感も何も無い人は、迷っている人をそのまま迷いの中にぶち込んでしまいますので、まず救われることがありません。
偽装している人がご信心を頂いた人だと思い込むわけですから、ご信心を頂いた人はあのような人なのだと信じてしまいます。
そうすると本当にご信心を頂いた人から話を聞いても一切受け付けなくなります。
結局、偽装している本人も勧誘された人もともに三悪道に落ちるのが必定となります。否、法を誹っているわけですから、それこそ法誹罪により、必堕無間地獄です。
信心偽装は、以前の親鸞会では無かったのですが、最近ではいよいよ真宗の名を語った邪教になり、真宗の名前を傷つけています。
会員の後生の為にも、信心偽装はすぐさま止めるべきです。
一番は本人の為です。
自分の心は絶対にだませません。
臨終に後悔の涙を流さないためにも信心偽装はすぐさま止めてください。