私達は後悔はしますが、反省はしません。
何か失敗したとき犬と一緒で、後ろ足で土をかぶせて隠せれば良いのですが、隠すことが出来なければ反省したフリをします。
失敗しなければ偉そうにふんぞり返り、人を見下します。
選民意識の強い人は、テレビやマスコミと呼ばれる世界には多くいます。
ちょっと前にNHKのアナウンサーが痴漢行為をして、画面から消えていきました。他にも沢山のテレビ関係者が画面に出て、消えてを繰り返しています。
後悔はしても、反省はしません。
反省すると言うことは、自分の罪を認め、それを償おうとすることです。
ところが、マスコミ関係者だけでなく、新聞にはいろいろな事件を起こして逃げている人が沢山います。
そもそも逃げると言うことは、罪を償う気が無いのですから、反省する気はありません。ところが逃げ切れずに捕まると今度は後悔します。
後悔したって元に戻るわけではないのですが、やはり「しまった。」と思うわけです。「申し訳ありません。」は出てきません。
私たちは、自分の業を引き受けていかなければなりませんが、そのことについて全くといっていいほど無関心です。
教えられていないから、無知だからの言葉で片付けるにはあまりに浅薄すぎます。
私が今行っている業を次の生で引き受けていかなければならないと今教えて頂いているわけです。定められた業なら受けていくしかないが、それをそっくりそのまま引き受けてくださると言われている教えがあるのです。
やはり自覚しようが自覚しまいが、その私を救うと言われる教えがあるなら、今すぐまかせるべきですね。
それがどんな宗教であれ、今の私をこのまま救う教えは、有り難いと思います。
浄土真宗以外にどこにそんな教えがありますでしょう。
あったらどなたか教えてください。
結局、阿弥陀様にお任せするといいながら自分の業から逃げることしか出来ないのが私です。
さあ、どうしますか。困ったものです。