浄土真宗の教えに本物も偽物も無いのですが、説く人によって本物と偽物が出来てしまいます。
ご信心がハッキリしているとかしていないとかの問題で無く、教えられたとおり、お聖教に書かれているとおり話せるのかどうかが問題となります。
教えを間違って解釈していようが教えの通り話されれば受け取る方はそこまで分かりませんので、仏の教えはそういうものなのだと受け取ります。
ところが教えを間違って説かれると大変なことになります。
受け取る方はそのまま受け取りますので、ちょっとの違いで救いから遠ざかってしまうこともあります。
親鸞会の教えは、初期の頃は6割から7割は正しい教えでした。
残念なのは、阿弥陀様の御心が説かれなかったので、それが本当は一番大きな問題ですが、少なくとも廃立肝要を強調されていましたので、その点に関しては良かったと思います。
ところが最近は、廃立肝要の看板を下ろしてしまい、三願転入の看板を上げてしまいましたので、阿弥陀様の救いは永遠に遠いところへと追いやられることとなりました。
また、一人の人からしかご法話を聞いていないとそのひとがすべてですので、間違いに気がつきません。
それどころが間違っているのは他の人たちだと教えられればその通りになってしまいます。
本物の教えを何度も何度も聞かせていただいておれば、間違いなどすぐ気がつくのですが、間違った偽物を掴まされると本物と偽物の区別がなかなかつかなくなります。
また、偽物こそが本物と思い込んで本物を偽物と決めつけてしまうのです。
やはり本当の教えを説かれる人を見極めるには、あちこちの先生に聞いてみることがまずは第一では無いでしょうか。
どうしても二の足を踏まれる方は、ネット上のご法話を聞かれるのも良いことだと思います。
本物を沢山聞かせていただければ、偽物に迷わされることは絶対にありません。
こんな事を書かなければいけないほど偽物も多いと言うことかもしれません。
残念ですね。
ところで、いろいろなブログでカルトの定義が書かれています。
どうかそこで自分がカルトに引っかかっているのかいないのか判断してもらいたいです。