とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

諸仏とのご縁

皆さんはどう思われるか分かりませんが、最近よく思っていることがあります。

諸仏とのご縁です。

たまたま私は阿弥陀様とのご縁が強かったのですが、仏様の数は無量であり、また、その願いも無量ですのでいろんな仏様とのご縁を持たれている人は沢山いると思うのです。

良く知られているところでは、大日如来薬師如来、釈迦如来などです。

毘盧遮那仏も有名なところです。

これら仏様方は、それぞれの誓願をもっておられます。

その願いに相応することで仏様に救われることが出来るのです。

たとえば禅宗は釈迦如来観音菩薩を信仰します。

信者は300万人とも600万人とも言われています。

救われるために戒律を守れと修証義に書かれていますが、はたしてどこに戒律を守っている人がいるでしょうか。

当たり前ですが、阿弥陀様以外の仏様の願いにかなうためには修行をする必要があります。

薬師如来についてはネットから拾ってきたものですが以下のようにありました。

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「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に薬師如来が菩薩で修行していたとき、12の大願を立てられました。その七番目の願いに「病のものも私の名前を聞けば患いが除かれる」とあって、これが薬師信仰の根拠とされています。

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薬師如来の誓願には「我が名を聞けば患いが除かれる」とあるわけですから、それらを信仰して救われたと言われる方がいるかもしれません。

しかし、そんな人を聞いたことが無いのは、居ないわけでは無くほとんど居ないと言うことかもしれません。

一方、阿弥陀様に救われたと叫ぶ人はとても沢山いらっしゃるわけです。

妙好人と呼ばれる人だけでなく、本願寺系の僧侶のかたにも沢山いらっしゃいます。

某会の会長もその一人でしょうか?

ですから今でもお聖教の解説本が次から次へと出ています。

では、修行も出来ない、善も何も出来ない、そんな私を救ってくれる教えは浄土真宗以外にあるのでしょうか。

他にもっと簡単に救われる教えがあるなら七高僧方が既に叫ばれているはずです。

結局の所、私が救われる教えというのは浄土真宗以外は考えられないと思います。

「たまたま行信を獲ば遠く宿縁を喜べ」と言われた親鸞聖人のお言葉は本当に金言です。

他の仏様とのご縁が強ければ、今生で救われたかどうか分かりません。

お念仏とのご縁はそういう意味でも本当に有り難い事です。

 

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