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とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

大沼法竜師の「法界」

大沼法竜師の「法界」という本を読みました。

高森会長が断章した本と言われていたのでいつか読みたいと思っていましたが、ついにその機会がありました。

既に絶版になっておりなかなか手に入らない本になってしまいました。

親鸞会関係者が結構買い占めたのかもしれません。

ところでこの「法界」という本は、発行時には既に本願寺を除籍させられた法竜師が、広島の宗教法人親鸞会館の聖人銅像鋳造の記念に書かれたようです。

第1版は昭和36年となっています。

今は北九州市の敬行寺に法竜師の本が残っていると思います。

さて、内容は言わずもがな、当代一の説教師、父親は勧学で、母親は筋金入りの篤信者が書かれたものであります。

かなりの勉強をされたようで、沢山のお聖教を読んだ上での自己流解釈があると思いますが、今、現在の阿弥陀様の救いは外されていないし、十劫安心を徹底的に否定されています。

さらに、当時から多かったであろう無帰命安心を批判しているのです。

その上、自分で教団を設立されているのですからどこかの誰かがまねをしたのもよく分かります。

しかし、後に続く人が無く、今はその宗教法人も無いのかもしれません。(どなたか調べて見てください。広島で設立された宗教法人親鸞会館」です。)

「法界」からはかなりの部分が親鸞会の「会報」という本に引用されているようですが、その「会報」も今は発売禁止状態です。

はっきり引用元を書いておけば良いものを、いまさらながらばれて非難され、嘘はつけないものです。

大沼師は、信心はハッキリするぞ、逆誹の屍が見えるぞ、阿弥陀様にハッキリ救われるぞと何度も何度も書かれています。

読んだ人は、そうならなければと必死に求道するでしょう。そして、たぶん何人もの人が信心決定されていたのだと思います。

親鸞会の教えが「法界」と違うのは地獄に落ちるぞと脅して、阿弥陀様の救いを説かないことです。

しかし、大沼師は、ご信心をハッキリさせなさいとそのことばかり強調されているので、そのことが本願寺を除籍させられた理由の一つのようです。

個人的な感想ですがハッキリするを強調しすぎて、そうでない人が本願寺の中にも沢山お見えだと思うので、当然その方達は非難されたのですから恨みを持たれ、その結果本願寺を除籍させられたのでしょう。

もう一つは三願転入の味わいをかなり強調されています。しかし、これも親鸞会的19願の善をやれとはどこにも書いていません。

求めていけば当然ある程度の時間は一般的にかかりますので、その道程を三願転入的な味わいとするのはどなたでもあると思いますが、今、現在の救いを強調していない訳ではありませんのでやはり親鸞会の教義とは異なります。

簡単に言えば、「なにせハッキリするからそこまで求めよ」と言われているだけなのです。「求めよ」とは「聞け」と言うことであり「善をせよ」ではありません。

阿弥陀様の願いや救いも十分強調されますし、我が身のお粗末なことも徹底的に書かれています。読めば読むほどすごいなと思わずにおれません。

残念ながら根拠がハッキリしませんが、さらに化土往生は「自力の善人」でなければ往生できないと強調されています。

だから本願に救われなければ駄目だと言われています。

しかし今の真宗界でここまで話す人はまずいないと思います。

そういう意味でも興味のある方は是非読まれた方が良いでしょう。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

参考:以下のサイトに「会報」と「法界」の類似した部分の比較がされています。

高森顕徹氏と大沼法竜氏の著書の類似点(1)