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とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

諸仏の証誠

お念仏は諸仏が証誠されている大行であるので凡夫の私は大いにしなければならない行であることは間違いありません。

沢山の諸仏が「間違いないぞ、本当だぞ。」と証明して下さっているわけです。

しかし、諸仏と言っても見えるわけでもない、どこかにいるわけでもないと思っていました。

しかし、よくよく考えてみると妙好人や善知識方は諸仏ではないのか。

南無阿弥陀仏が本当だぞ、間違いないぞ。」と私の周りで叫んでおられるのです。

これはよくよく考えてみる必要があります。

そもそも、仏という存在は何にでも成れる訳です。

そうすると私に法を伝えて下さる方は、私にとっては諸仏かもしれないのです。

「お前に阿弥陀様のお力を見せてやる。」といろいろな人になって私に教えてくださっているのかもしれません。

そういう考え方は実は昔からあるようです。

諸仏方がたばになってお念仏はすばらしいと称えているわけです。

進んでお念仏をした方がいいと思いますよ。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

その時、仏は、長老シャーリプトラに告げて言うには、「これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。その仏国土には仏がおり、阿弥陀と号する。いま、現にましまして真理を説く。シャーリプトラよ。かの佛国土をなにがゆえに名づけて極楽となすや。その国の民衆は、もろもろの苦しみを受けず、ただもろもろの楽しみだけを受ける。故に、その佛国土を極楽と名づける。

・・・中略・・・

シャーリプトラよ。私は、いま、諸仏の不可思議の功徳を称賛するように、かの諸仏らも、また、わが不可思議の功徳を称説して、この言をなす、『釈迦牟尼仏は、よく、いとも成し難いことを成し遂げた。すなわち、よく、現実世界の五濁(末世に生ずる避けがたい五種の穢れ)の悪世である劫濁(時代の穢れ。社会悪)・見濁(思想の穢れ)・煩悩濁(精神的悪徳がはびころこと)・ 衆生濁(人間が心身ともに弱くなり質的に低下すること)・命濁(寿命が縮まること)の中において、この上なく正しい悟りをえて、一切の世間のために、信じがたい法を説かれた。これ、甚だ成し難きことである」

仏説阿弥陀経

 

念仏の一行はこれ弥陀選択の本願なり、釈尊付属の行なり、諸仏証誠の法なればなり。釈迦・弥陀および十方の諸仏の御こころにしたがひて 念仏を信ぜんひと、かならず往生の大益を得べしといふこと、疑あるべからず。

真要鈔

 

善導の『観念法門』に云く、また『弥陀経』に云うがごとき、六方に各恒沙等の諸仏有して、皆舌を舒べて遍く三千世界に覆って、誠実の言を説たまう。もしは仏の在世、もしは仏の滅後の一切造罪の凡夫、ただ回心して阿弥陀仏を念じて、浄土に生ぜんと願ずれば、上百年を尽し、下七日一日十声三声一声等に至るまで、命終らんと欲する時、仏聖衆とともに、自ら来って迎接し、すなわち往生を得せしむ。上のごときの六方等の仏の舒舌は、定んで凡夫の為に証を作し、罪滅して生ずることを得せしむ。もしこの証に依って生ずることを得ざれば、六方諸仏の舒舌、一たび口を出でて已後、ついに口に還り入らずして、自然に壊爛せんとなり。

選擇本願念佛集