親鸞会の人たちは、退会者でご信心を得たと言われる人に対して、「そんなことあるものか、高森先生と同じ信心になれるものか、あいつの言っていることは間違っている、嘘つきめ。」と決めつけています。
ところが皆が間違いだと判断する基準はどこにあるのか分かっていません。
除名になれば信心は間違い、信心は嘘、求道の落伍者と烙印を押します。
さらに言えば高森会長からあの人は信心の人だと言われれば、そのまま信じるのです。
また、あいつらは間違っていると言われればその通りと頭ごなしに信じてしまいます。
その姿は、まるで人形のように思います。
会員の時、私は人形のようなものでした。高森会長が言われている、専任講師の偉い人が言われている、他の会員の人も言っている、間違いないと勝手に自分の中で信心決定の人を造っていたのです。
根拠はいつも高森会長を初めとする親鸞会の人たちです。
いつも言うことですが、マインドコントロールの典型的な姿なのです。
ところが信心を本当に頂いた人から見れば、否、本当の浄土真宗の教えを知っていればマインドコントロールされている姿がありありと分かるのです。
それはあたかも天上から地上を見ているようにです。
あるいは大人が子供の姿を見ているように分かるのです。
親鸞会会員の人たちは信心同異の諍論を「私のこと」と見ていないのです。
信心同異の諍論で「私」が親鸞聖人のご信心を否定しているその他のお同行と同じだと言うことに気がついていないのです。
繰り返しになりますが、高森会長が正しいと言っていないから、幹部講師達が退会者の信心は間違いと言っているから、だから退会者の奴らの信心は嘘っぱちだと思っているのです。
そしてそこから抜け出そうとも思っていないくらいどっぷり親鸞会の会員で大丈夫と思い込んでいる自力の信心に凝り固まっているのです。
だから、頭の上での理解だけでも私の考えていることはひょっとかしたら間違っているのではないか、というところにまずは立たせていただけるかどうかが本当に大事なのです。
「私が間違っているかもしれない???」
「親鸞会が間違っているかもしれない???」
「高森会長が嘘を言っているかもしれない???」
「幹部の専任講師は本当のことを隠しているかもしれない???」
「三願転入で救われるのは間違いかもしれない???」
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マインドコントロールが解けるにはそこに至る必要がどうしてもあります。
しかし、これは人それぞれのご縁ですからどうしようないのですが、少なくともいろいろなブログを読まれている人はじっくり考えて欲しいところです。
そして、そのことが分かれば、あとはエスカレーターが自動的に阿弥陀様まで運んで下さるのです。
最後は「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」というところに立たせていただくのです。
そうするとさらにハッキリするのです。
信心同異の諍論を物語としてしか聞いていなかった、自分は信心頂いた側に立っていた、本当は信心が何か全く分かっていないのに、ということが自分のこととして理解できるようになります。
信心同異の諍論を読んで改めて思いました。
何にも分かっていなかったな。
本当に何も知らなかったな。