とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

本派(本願寺派)の教え

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし

摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

浄土和讃

 

十方の数限りない世界にいる、念仏の衆生をご覧になり、その者たちを光明の中に摂め取って捨てることがない。それゆえに阿弥陀如来と申し上げるのである。

 

念仏の衆生を照らす光明のはたらき(摂取不捨の徳)が、阿弥陀如来の名前の由来であると詠われています。言いかえれば、阿弥陀如来阿弥陀如来である由縁は、摂取不捨の徳にあると示して、そのはたらきを讃えられたご和讃です。

如来の光明のはたらきを讃嘆するとともに、私たちがその光のなかにあって、大きな安心を恵まれていることを喜ばせていただきましょう。

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本派の御了解のほんの一部です。

これだけでも十分有り難いのですが、これだけでは本当のところがよく分かりません。もっと沢山の教えを読んで初めて何が書かれているかが分かります。

最近、「さよなら親鸞会」でえせ僧侶かどうか知りませんが、やたらと本派と親鸞会は教えが同じだと書き込んでいる人がいます。

 信心決定のために善をせよを一生懸命擁護されていますが、本質をいつもずらしています。問題は親鸞会が善(信心決定のために必要と親鸞会で教えられる善)を利用してお金(財施)や活動を会員に暗に強要することが一番の問題なのです。

先日も本派の方のご法話を聞かせていただきましたが、これでもかというくらい信心が大事、我が身の姿を見よ、阿弥陀様はそれがお目当てとお話しいただき嬉しくて仕方ありませんでした。「さよなら親鸞会」で言われていることとは全く違います。

確かに中には教えも何も説かない人もいるでしょうが、ご法話会は全国各地でほとんど毎日といっていいほど行われています。それもとても沢山の先生方によって。

「さよなら親鸞会」で福井の本派の関係者をかたっている人は、嶋田さんを意識しているのかもしれません。まあ、どうでもいいですけど、一つだけ大事なことを言っておきます。

涅槃経に書かれていますが、信心を偽装する人は波羅夷罪(はらいざい)と言われ教団追放の罪になります。

阿耨多羅三藐三菩提を得ていないにもかかわらず得たと公言する、阿羅漢果を得ていないにもかかわらず得たと公言する。

要するに嘘(虚言)を言う人は仏法者では無いと言うことです。

また、真実に導くための方便だから何をしてもいいと思われている人もいるでしょうが、方便には善巧方便と権化方便善巧方便があります。

 

善巧方便

仏や菩薩が衆生を悟りに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに導く手段や方法などのことです。

 

権仮方便

真実の法に入らしめるために仮に設けた法門のことで、方便願、方便の行信、方便化身土というようなものがこれに相当し、いわゆる阿弥陀仏の本願の19願および20願のことであり、この願は18願に入ったら不要となるため暫用還廃(暫く用いて還りて廃す)の法といわれます。

 

それで、この方便はどなたが使われるかというと阿弥陀様あるいは仏様が使われるのです。

大きな間違いは私が誰かを導くために使うものでは無いということです。

親鸞会の人の大きな間違いは、自分が仏の代弁者のように振る舞うことです。これは、会長が専任講師および幹部にそう刷り込んでいるために、まじめな人ほどそのことをそのまま真受けしてマインドコントロールされていくのです。

だから高森会長や専任講師の言われることを何の疑問も持たずにそのまま信じてしまうし、真実に導くための方便だから何をしてもいいと会長の言葉通り専任講師をはじめ末端の会員まで嘘を平気でつきます。

ところがそのことが本当は大変な罪であることを誰も知りません。本当に哀れで成りません。

一方、本派の教えは、誰にでもわかりやすく阿弥陀様のお慈悲を説かれるため誤解を受ける面があるかもしれません。何か物足りない気がすることもあるでしょうが、本当はその奥にある阿弥陀様の御本願を寸分違わず伝えようとしているのです。

それは本派の教えを何度も聞けば間違いなく分かるし、本派の様々な御著書にも間違いない教えが説かれています。

そして本派の教えは、現在、ただ今、落ちる私に届いてる南無阿弥陀仏は、光明無量、寿命無量の阿弥陀様の働きに他ならないと教えて頂きます。

親鸞会擁護の人たちは、ブログ上で軽い気持ちで書かれていると思いますが、親鸞聖人の教えをねじ曲げ、会員をたぶらかす、その行為は教団追放以上に重い罪だと思います。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏