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とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

無常観と罪悪感

時間という概念はいつから人間の世界にあるのか分かりませんが、とにかく自分の回りがすごい勢いで生死を繰り返しているのは事実です。

早く感じることも遅く感じることもありますが、とにかくすべてが過ぎ去っていきます。

そして次から次へと新しいこと、あるいは同じ事がやってきます。

 

世界では、シリアが反体制組織にサリン攻撃をして子供が化学兵器によって死んでいます。その報復をアメリカがトマホークミサイルでシリアの軍事基地の攻撃を行ったと報道されています。

そうかというと数日前に日本海に向けてミサイルを発射している北朝鮮があり、いつか日本を始めどこかの国を攻撃するのではないかと、中国とアメリカが北朝鮮の対応などについて協議をしています。

そういうことがめまぐるしいスピードで次から次に起こっては過ぎていきます。

それを繰り返しているのですが、そうしているうちにいつか自分の死がやってくるのは間違いなのですが、全く死ぬとは思えません。

 

「全く、なんてこった。」

 

お釈迦様の時代も同じように大国がせめぎ合って、戦争が常に起き、結局、釈迦族もお釈迦様の存命中に滅ぼされています。

今では歴史の一ページにしかすぎません。

無常は感じなくても感じても事実として無常です。

また、罪悪を感じたら戦争など出来ません。

ましてや肉や魚や貝(アサリが好きなのですが最近不漁で食べられません)をたべることは出来ません。

すべては事実として自分から起きています。

 

無常観と罪悪感をとりつめて阿弥陀様の救いの生起の所を知ることはある意味大事でしょう。

仏教の教えから言えば自分の身は無常であり罪悪の塊と言われれば、その通りです。

しかし、そのことを突き詰めなくても今世の中でおきていることを見れば無常や罪悪は分かることだと思います。私自身はさほど感じていませんが、自分が意識するしないにかかわらず私は無常であり罪悪を作っています。

仏様の目からご覧になれば日々の生活はそれこそ無常と罪悪の連続でしょう。

 

阿弥陀様の救いは、そこを相手にするよりも信心をとれ、本願を聞けと言われているのです。

蓮如上人も言われています。

「罪のあるなしの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし。罪消えて御たすけあらんとも、罪消えずして御たすけあるべしとも、弥陀の御はからひなり、われとしてはからふべからず。ただ信心肝要なりと、・・・」

(御一代記聞書) 

 

さらには、こんな日常にいてどうして解脱(仏)に成ることが出来ましょうか。

どう考えたって仏に成るための修行というものを私を含めほとんどの人がしていないのだから。

 仏に成るための修行は何かと言えば八正道です。

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です。

基本は、正見。

仏教の基本、四諦を明らかに見る、そこを基本に八つの正しい行いをしていくのです。この正しい行いを正しく行うために決められたことが戒律や六波羅蜜なのですが、いずれにしても八正道を行えば涅槃が得られるのです。

ところがそんなことは出来るわけがありません。

そもそも四諦についても言葉は理解できてもその本当のところを体得しているかと言えばさっぱりです。

ハッキリ言って私は何も分かっていません。

四諦の最初、苦諦にしたって確かに生老病死と聞けば「人生苦しみだよな。」とは思いますが、暫くすれば忘れて「何か美味しいものが食べたい。」と思ってそれに従った行動をします。

煩悩を満足させることは「楽しい」、「幸せ」と自分の細胞から慶びがわき出てきます。身も心も楽しいことはあるじゃないですか。

それをいちいち難しい顔をして苦しもうとしたところで嘘としか思えません。

自分の心なんてそんなものなのですからとても仏教で言われる修行など出来るとは思えません。

 

そんなんであっという間に時間が過ぎていくなかで私が仏に成るなどあり得ないのですが、奇特なことに阿弥陀様と言われる仏様が私の本当の姿を見られて、救わずにおれないと立ち上がってくださったのです。

願も行も成就して、救いの源、南無阿弥陀仏を完成され、すでに私に届けてくださっているのです。現に今私の口から南無阿弥陀仏が出てくださっています。

夢物語かきちがいの話かさっぱり分かりませんが、私を救ってくれるというのだから任せたらいいんです。こちらがきちがいで阿弥陀様が本当なのかもしれないんだから。

どうせ一回の人生、騙されたと思って任せれば良いんです。

 

人の言葉にはすぐ騙され、オレオレ詐欺に引っかかったりします。あるいは投資に騙されることもあります。ひどい場合は友達や家族にも騙されることがあります。

それどころか高森顕徹会にも騙されたのです。

その結果は「しまった」です。

でも、阿弥陀様に騙されるのは「しまった」も無いのですから。だって、こちらにはそもそも信ずる心も念ずる心も求める心も何も無い、すべて頂き物なのですから。

私が阿弥陀様が本当だと思えようが思えまいがそのまま救ってくれると言われるのです。

 

人間は嘘をつきますが、仏様は嘘をつかないのです。

「後生」の問題は阿弥陀様に任せておけば良いのです。

 

時間はあっという間に過ぎていきます。自分の思いなど無視して「後生」は現在、ただ今、落ちるそのまま、御念仏にお任せしましょう。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏