とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

社会学者

nornsaffectioさんからコメントを頂き不適切な表現が多々あると思いましたので修正します。おかげで社会学をもう一度調べ直す機会を頂きました。

それでもやはり宮台真司氏は好きになれませんね。

簡単に言えば言葉にリアリティーが感じられないのです。

本当にカルトや性やサブカル以外の世界で働く人たちを観察したのか疑ってしまう。

宿業の一言で片付けたくは無いのですが、残念です。

nornsaffectioさん、ありがとう。

追加 調べたサイト

二村ヒトシ氏との対談 宮ボット あさくらさんのサイト(note) voboさんのサイト

bookメーター 僕はいかにして宮台真司に感染したか yamatake'S psychology site

福音の村(対談) などなど

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社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といったミクロレベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロレベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。

 

分かりにくいかもしれませんが個人的に興味のある社会学者と呼ばれる人が二人います。一人は宮台真司氏でもう一人は鈴木涼美氏です。

 

宮台真司氏は1990年代、オーム真理教やブルセラなどの社会現象についていろいろテレビでコメントしていたことを何となく覚えています。

また、彼に影響されて自殺する若者がいました当時多発しました。

簡単に言えば生きる目的など無いと言い、まったりと生きれば良いと言っていたように記憶しています。

 

鈴木涼美氏は中学生時代に宮台真司氏の影響を受け、ブルセラ女子高生からAV女優になり、その後東大大学院を卒業し新聞社に勤めますがAV女優だったことがバレ会社を辞めます。

本人はバレたから会社を辞めたのでは無いと言っていますが・・・・。

 

社会学者は倫理や規範、あるいは常識などについて頭から否定する傾向がありますしてかかります。

宗教に関しても簡単な言葉でカテゴライズしようとします。

 

個人的な感想ですが、自分が宗教に関わることによって失われるであろう地位や財産を怖れているのが何となく分かります。

それでいて出歯亀根性丸出しのことを書き連ねています

 

鈴木涼美氏の母親は娘の行為を死ぬまで許さなかったそうです。

父親は有名な哲学者であり母親は翻訳者でした。

不出来な娘を悲しんだことが想像出来ます。

 

だからといって二人の社会学者の生き方が間違いとか言うつもりはありません。あくまで個人的な感想ですが、ただ、あまりにも宗教や道徳というのに対して無価値とまでは言わないにしても社会を破壊したい思いを感じられるから個人的にこの人達は社会にとって悪影響な人だと思っています。

本人達にその自覚は全く無いと思いますが、社会のモラルを破っていく行為は今までの歴史を見ればいろんな問題を複雑化する材料でしかないと思います。

純化された価値基準の上に生きているときは表に出なかった問題があらわになることにより人々の生活に不安材料が増えていくのではないかと思っています。

 

 

しかし彼らからすれば宗教などは非常識の塊であり、信じるに足るものでは無いのでしょう。また、そこまで宗教を知ろうとも思っていないでしょう。

また、彼らからすれば宗教はあくまで学問の対象であり、信仰の対象とはしないのでしょう。

まして釈尊の説かれた八正道の世界や十善戒の世界など知識としては入っていても、その本当の所を知ろうとして修行をされることはまずありません。知るよしも無いと思います。

これも個人的な感想ですが彼らのような人間が出てくることが煩悩穢の世界に突入したのかとも思います。

 

彼らの発言を読むに付けお釈迦様のお言葉に磨きがかかります。彼らは私の持っている闇をそのまま表に出しているのかもしれません。本人達は因果の道理や阿弥陀様の御本願とは本当に遠いところにいる人たちだなと思わずにおれません。

不幸な人たちと思うのは間違いでしょうか。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏