とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

善導大師の二河譬について

 善導大師の二河譬について個人的な感想です。

善導様がどうして二河譬を著されたのか。

当時の仏教は当たり前ですが、聖道門、それも天台の智顗が亡くなって暫くして善導様が生まれられています。

つまり、善導様が生まれたときはバリバリの聖道門の世界です。

ちょっと後には印度まで行った玄奘三蔵様もいらっしゃるのです。

そんな中、道綽善師を訪ね浄土門にはいります。それまであちこちを遍歴していたようです。

また、善導様はご存じの通り布団を敷いて寝たことがないくらい経典の研究などをされています。

その中で浄土門を唱えた善導様は聖道門と今の浄土門の中間を行くような存在だったのではないかと思うのです。

念仏行を行いながら三昧の行も行う。

また、善導様のご教化がすさまじく、法然上人と同じように一般ピープルにもお念仏を勧め、中には善導大師の教えのすばらしさのあまり自殺するものまで現れました。

どうしてそうなったのかはよく分かりませんが史実として残っています。

阿弥陀仏を体得せられ思い残すことは無いと自殺されたという話も聞いたことがあります。

ですから聖道諸衆から非難もされたことでしょう。

それでも長安の都にお念仏が響き渡っていたと言われますから相当広まっていたのでしょう。

余談ですが映画「少林寺」の中でも修行しながらお念仏を称えるシーンがありますからお念仏は中国でも一般的なのかもしれません。

そんな中、善導様は人々を導くために譬えを持ってお示し下されたのが二河譬ではないのかと思います。

お念仏に救われたなら死んではいけない、あっという間の人生、そのままお念仏を称えながら人生を全うせよと。

信心の行者はお念仏を唱えながら生きよと。

また、聖道諸衆に対しては、二河譬の真意をくみ取ってくれと願われたのではないか。

阿弥陀仏は諸々の仏様の内のお一人という考えが当たり前の時代です。

たぶん、善導様の時代でもある程度の悟りを開かれた方は沢山いらっしゃったと思います。

そういう方を誹るでも無く、根機の劣ったものを救う為の教えを広めるための二河譬ではなかったのではないでしょうか。

そう思うといろいろなとらえ方が出来ると思いますが、善導様の御本心は専修念仏しかありません。

そして、そこは三定死を通して阿弥陀様にまかせよと自他力廃立をお示し下さったとしか思えないのです。

そこを読み取ってくれと私には聞こえます。

 

あくまで、私の勝手な味わいです。

 

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