とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

座談会について

座談会とは読んで字の如く、人が何人か集まって各自の意見や感想を述べ合う会のことであります。
お互いが意見を交わすためには配席も重要になってきます。
国際会議の場面などを想像すればわかると思います。
これが単なる質問と解答をするだけになると質疑応答となり一方的な感じになります。教室形式的な配席が想像されます。

会社の研修ではよくブレインストーミングがされます。
みんなで一つの課題に対して様々な意見を言い合いよりよい最適な解決策や解答を求める方法です。
ただし、他人の意見に対して反対意見や批判的な意見および結論を出さないことが約束事としてあります。
他にはワークショップがあります。ファシリテーターと呼ばれる司会進行係を中心に課題解決をしていきます。

真宗における座談会は、先生から出された課題について一人一人が解決していく場であります。
出される課題はいつも同じです。

今、ここで信心決定せよ、あるいは後生の一大事を解決せよです。

これ以外はありません。
座談会ではこの問題について、一人一人が自分の思っていることや考えを話します。また、人の意見や考えについて思い違いや誤解を解くための発言をします。
そして、一人でも多くの人の問題を解決していきます。
そのためにそれぞれが意見や疑問点を話し合います。
その話し合いが混乱しないように誘導するのが先生役、あるいは司会役の役割になります。

この場合、あまり勉強してなかったり、自分の信心や考え方は絶対正しいと強く思い込んでいると誤解を受けたり、相手を傷つけたりすることがありますので、十分注意する必要があります。✳ 注1

しかし、問題を避けて何も言わなければ物事は前に進みません。
止まったままです。その典型が高森顕徹会の座談会だと思います。
単なる記憶力大会になっています。

さらにこれが先生と生徒の二人になると真宗で言われるご示談になります。
善知識あるいは妙好人など既に信を得ている方に徹底的に話を聞いて頂くのです。
古いお寺にはご示談について張り紙などか本堂の柱に貼ってあったりします。

そして、それらから御信心が開けて来るのです。

蓮如上人が言われる物を言えとはこの座談会の事なのでしょう。
当時はご法話の後にみんながあちこちで車座になって話し合っていたと聞いたことがあります。
また、不審を持ったままでは今度の一大事を解決出来ないとなったら大変なことになります。
また、ここで大事なのは信、不信ともにと言われていますので、御信心を獲たと思っている人もいない人もともに話しなさいと言われていることです。✳注2

ただ、ほとんどの人は大変なことになると思っていませんので、その事が本当はもっと大変なことなのですけど。
何れにしても座談会は真宗にとって大事なことと思います。

これをしないで自分で御信心を開かれたのが法然上人です。
あの有名な善導大師のお言葉です。

善導大師 散善義

一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるが故に。

このお言葉はきっと何度も読まれていたことと思いますが、そのお心がどうしても受け止めることが出来なかったのでしょう。
しかし、ある時このお言葉がそのままお心に入ってきたのでしょう。
このお言葉が善知識の御言葉そのものだったのです。
凄いことです。

法然上人以外にもきっと沢山の方がいらっしゃると思います。
しかし、この場合余程の力と言うかご縁が無いと難しいのではないかと個人的には思います。

いずれにしても善知識の言葉によって御信心は開かれて来ます。
そして、一様に皆が阿弥陀さまの全分他力と自他力廃立を叫び出します。

この事は、不思議以外の何物でもありません。

阿弥陀さまは、現在、ただ今、落ちるそのままの私を南無阿弥陀仏一つで救うと言われています。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏


蓮如上人 御一代記聞き書き

注1
一 教化するひと、まづ信心をよく決定して、そのうへにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。

注2
一 蓮如上人仰せられ候ふ。物をいへいへと仰せられ候ふ。物を申さぬものはおそろしきと仰せられ候ふ。信不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ候ふ。