嶋田さんの勉強会に参加して思い出すのは、昭和の時代から平成の頭にかけて親鸞会の専任講師が自信たっぷりに各地でご法話を開いていたときのことですね。
自分たちの教えは間違いありません。
絶対に真実を説いています。
これしか無いんですよ、地獄一定の我が身です。
阿弥陀様の本願に救われて絶対の幸福になるのです。
その証拠が高森先生です。
高森会長が善知識ですから高森先生から聞かせてもらいましょう。
五〇〇年に一度の善知識です。
今生最後のチャンスですよ。
善知識には絶対服従です。
それでなければ信心決定出来ません。
皆、力一杯話していた。自分に酔っていたこともあっただろう。
そう言いながら誰一人信心決定していなかった。
それでも皆、絶対の幸福を信じて疑わずに活動していた。
自分たちは選ばれたんた。
だから、自分が必ず信心決定するんだと信じ切っていた。
そのためには人に何と思われようが、真実を伝えなければと言われるとおり皆活動していた。
出来る人はすごいな~、私には出来ないと思いながらも、聴聞を辞めることはなかった。
ところがネットでは真実開顕と言いながら自分たちの都合の良いところしか表現せず、
都合が悪くなれば一切返事しない。そして、相変わらず高森先生を絶対視する典型的な善知識頼みの異安心なのにそのことに全く気づいていない、自分が100%正しいと未だに信じ切っている。
創価学会の批判サイトも読んでみたが、マインドコントロールされている姿が本当に同じだなと思った。
地獄に落ちるぞ、今、苦しいときだからこそ活動をせよ、頑張れば幸せが待っていると自分の生活を犠牲にして活動している。
池田先生が本当の知識であり、この人の言う通りにしていれば間違いないと信じている。
一生懸命活動できる人が偉い人で、すばらしい行為だと皆が褒め称え、さらに頑張る。
必ず幸せになれると信じて。
しかし、頑張っても頑張ってもお金と体力が減るだけで何も変わらない。
信心がハッキリすることも無く、それどころか世間から非難され、不幸が深まっていくこともある。
ところが一部の幹部は嘘に気づきながらも、そのことは一切おくびにも出さずに会員を叱咤激励する。そして、陰では贅沢な暮らしを平気でしている。
末端の会員は幹部の言葉を信じて一生懸命活動し、必ず、必ず、必ず幸せが来ることを願っている。
あ~、親鸞聖人が
『噫(ああ)弘誓の強縁、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽(ふへい)せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。
誠なるかな摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。』(教行信証・総序)
と言われるが本当になんと言うことか。
人生は長いようで短い。本当にあっという間だ。
この教えが聞きたかった。
この阿弥陀様のお心が知りたかった。
なんという素晴らし教えか。
とても信じられる教えでは無いが、今、このブログだけでなく他のブログも読まれ、本当の阿弥陀様の御本願を聞かれている人は幸せだと思わずにおれない。
信前であろうが信後であろうが、少なくとも御念仏によって救われることは分かっているのだから。
私が選ばれたなどととても思えない。そんな資格は私に無い。
何かの間違いか、本当に何かの間違いだとしか思えない。
現在、ただ今、落ちるそのままの私に届いている御念仏が阿弥陀様の呼び声です。
「そのまま救うぞ。お前が目当てだ。落としはせぬぞ。我にまかせよ。」
御念仏以上のご法話は無い。