前回の記事で方便のことも書きましたが、とても大事なことなのでもう一度確認しておきたいと思い記事にしました。
一般的な方便の意味を調べると以下の二通りの意味があります。
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○ある目的を達するための便宜上の手段。「うそも方便」
○《(梵)upāyaの訳。近づく意》仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。
○(多く「御方便」の形で)都合のよいさま。「でも、御方便なものだ。」
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昔、高森会長は「真実に導くためならどんな方便を使ってもいい。」と言われていました。記憶にある人も多いと思います。
しかし、その方便に対する認識と言うか理解がほとんどずれています。
ウパーヤというサンスクリット語の意味は間違いなく真実に近づけるための仮に取る便宜的な手段ということは間違いありませんが、そこに嘘が入るととんでもないことになります。
簡単に言えば嘘を言って騙そうが、何をしようが全く問題なくなってしまいます。
現に親鸞会の講師や幹部会員はそんなこと問題にしていません。
岡もんブログとか危苦たにブログもそうですが自分の所属している団体の名前を一切記載していません。そのことに何の疑問も持っていません。
何故なら高森会長自身がそう思っているからです。
そのことについてはいろいろ私にも経験があるのですが問題があるためここには書けません。しかし、長く会員をされている人は多かれ少なかれ体験されていると思います。
現に今は学生会員を勧誘するために親鸞会という名前を隠して嘘の団体を語ったり、自分の信心を偽装したりします。
この信心偽装は本当に罪なことで自分だけならいいのですが、周りも皆引き連れて迷いの世界へ導いてしまいます。そしてその事に何の罪の意識も無く行動してしまうことが本当に無智というか迷いのまっただ中というか危なくてみておられない気持ちになります。
涅槃経には、信心を偽装する人は波羅夷罪(はらいざい)と言われ教団追放の罪になると書かれています。
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波羅夷罪
阿耨多羅三藐三菩提を得ていないにもかかわらず得たと公言する、阿羅漢果を得ていないにもかかわらず得たと公言する。
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また、嘘と方便は全く異なります。
ほとんどの嘘は嘘がばれたときついた相手に対して恨みを抱きます。そして嘘をついた本人も罪を作ります。
方便は相手の技量に応じて導く方法です。宗教団体の名前を隠したり、自分の信心をごまかしたりすることは方便ではありません。何故なら仏教でいう方便は世間一般に使われている方便とは全く異なるからです。
簡単に言えば仏教で言われる方便は私が使うものではありません。仏様、阿弥陀様が使われるものであります。私はそういただいています。
当たり前ですが、仏教では嘘、妄語などはハッキリした罪だと言われています。
では仏様が使う方便とはどういうものかと言えば、仏教で説かれる様々な教えのことであり、私の思いを挟む余地が無いのです。
もう一つ親鸞会の間違いは、仏教で言われる方便の解釈を全く理解していないことです。
前回も書きましたが、仏教の方便には善巧方便と権化方便があります。
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善巧方便
仏や菩薩が衆生を悟りに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに導く手段や方法などのことです。
権仮方便
真実の法に入らしめるために仮に設けた法門のことで、方便願、方便の行信、方便化身土というようなものがこれに相当し、いわゆる阿弥陀仏の本願の19願および20願のことであり、この願は18願に入ったら不要となるため暫用還廃(暫く用いて還りて廃す)の法といわれます。
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この二つを自分が行うことと頭から信じて疑わない、高森会長の教えを信じて疑わない、そこに大きな間違いがあるのですが一度信じてしまうとなかなかその考えから離れられません。
今、現役の会員の方は、自分の考えが本当に正しいのかよくよく考えてもらいたいと思います。私もそうでしたが、教えてもらわなければ自分が何を正しいと思っているのか分かりませんでした。
私の考えは間違いないという思いを一度客観的に見て欲しいと思います。