観無量寿経の中に九品の往生が書かれています。
辞書によっていろいろ書かれていますが、以下の文章が短くて的確なので引用しました。
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極楽浄土に生まれるのに、この世で生活した仕方によって9種類の生まれ方があることをいう。
『観無量寿経』に説かれ、非の打ちどころがない善人は臨終のとき、仏が迎えにきて即座に極楽に往生(おうじょう)できるのを上品上生(じょうぼんじょうしょう)という。
以下、上品中(ちゅう)生、上品下(げ)生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生と続き、最後の下品下生は、極悪非道の行為を繰り返した者が、臨終のとき、念仏を唱えたことによって往生できることをいう。この思想に従って、阿弥陀仏(あみだぶつ)にも九つの印相(いんぞう)(手に結ぶ印の形)があるという考えが一般化し、鎌倉中期以降、とくに九品の阿弥陀仏の造像が行われた。また、仏が迎えにくるとき、それに座る蓮台(れんだい)も違うと考え、九品の蓮台があるとさえいうようになった。
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この中で一番気になったのが、下品下生の説明です。
そもそも九品の往生は、臨終来迎を説かれたものですが、最後の下品下生の人でさえ往生できると説かれているわけです。
臨終に善など出来る術も無く、ただ、御念仏を称えることができれば大成功なのだと言われているのです。
ならば今から御念仏を称えればいいのではないでしょうか。自力であろうが何であろうが南無阿弥陀仏が私を救ってくださるのですから、疑い一杯でもいいじゃないですか。
臨終に善知識が現れなくたって、今、南無阿弥陀仏で救われるという教えを聞かせていただいているなら、既に善知識にお会いしていることと同じわけだし、臨終は今かもしれないのですから。
結局、往生できるかどうかは阿弥陀様にお任せするしか無く、自分は御念仏を称えよと阿弥陀様から言われているわけですので、そのまま称えたら良いだけなんだと思います。
それで行く先はどこかさっぱり分かりません。
それでも間違って往生浄土に行ったら、下品下生の人はそこで十二大劫の修行をしないと仏には成れないと言われています。
下品下生の人は以下のように書かれています。
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五逆罪・十悪を所作し、不善を行って地獄に堕すべき者。
臨終の時に善知識に遇い、仏の微妙なる法を聞いて、仏を念じようとしても、苦しみに喘ぎ念じることができない、ただただ十念を心から具足して阿弥陀の名号を唱える(称名念仏)と、念々に80億劫の生死の罪業を滅除し、金の蓮華を見て往生することができ、12大劫を経て蓮華が開敷し、観音や勢至の説法を聞いて、無上の菩提心を起すという。
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ちなみに上品上生の人は一日、又は七日で仏様になるそうです。
私は、どう考えても下品下生ですね。
お迎えは金の蓮の花だそうです。素晴らしいじゃないですか。
本当に来るのかな?死んでみないと分かりませんがね。
それと仏像の九つの印相はそういうことなんだなと始めて知りました。
以下、参考 wikiより
上品上生
至誠心、深心、廻向発願心の3種の心を発して往生する者。
これには3種類の者がいるという。
- 慈心をもって殺生を行わず戒律行を具足する者
- 大乗方等経典を読誦する者
- 六念処を修行する者
上品中生
大乗方等経典を読誦せずとも、よく大乗第一義の義趣を理解し、心に畏怖驚動ことなく、因果律を深く信じ大乗を誹謗しない者。
上品下生
因果律を信じ大乗を誹謗せず、ただただ無上道心を起す者。
中品上生
五戒、八戒など諸々の戒律を具足し尽くして悪業を所作しない者。
中品中生
1日1夜に五戒・八戒を具足し、また沙弥戒(年少の僧侶が受ける戒律)や具足戒を持ち、威儀端正にして欠くことが無い者。
中品下生
父母両親に孝行し養い、世間に仁義して慈しみ行う者。
下品上生
大乗方等経典を誹謗せずとも、多くの悪事を行って恥じ入ることのない者。
下品中生
五戒・八戒・具足戒を犯し、僧祇物(そうぎぶつ)を偸盗し、不浄の説法をして恥じ入ることのない者。
下品下生
五逆罪・十悪を所作し、不善を行って地獄に堕すべき者。