高森顕徹会を退会したあとは本当に自由でした。
自分の責任ですべて決める、行動できる、それが嬉しかったのです。
尾崎豊的に言えば、支配からの卒業と言いましょうか。
今でもそうですが全て自分の責任において行動することが結構幸せでもあり、実はちょっと苦しみでもあります。
なぜかと言うと全てが自己責任になり誰にも責任転嫁できないからです。
高森顕徹会に居たときは専任講師がダメだとか、支部長や中隊長が悪いとか言えていたのが言えなくなって、今では全てが自己責任です。
自分の不幸を他人のせいにするのはある意味楽なことです。
ところがそれがすべて自分の責任となるとこれはまたなかなか重いため、支えを欲しくなります。
まあ、それはそれで私はこの人生、楽しんでいます。
youtubeでtoshiの歌を聞きながらマインドコントロールから抜けた世界にいる自分が不安定でもあり、物凄い安定感にいることも感じられているのは幸せなことでもあります。
自由とは幸せでもあり、一方で責任が伴う世界なのです。
そうは言いつつも今の自由は何物にも代えがたいものです。
阿弥陀さまは私に究極の自由を与えてくださいました。
お前はこれ以上落ちようの無いやつだと教えていただきました。
それこそお目当ての御本願。そのまま救うぞの南無阿弥陀仏。
有り難い事です。ようこそ、ようこそ。
年度も替わり新たな世界に入り人間関係も変わった人がいると思います。
別れと新たな出会いがあります。
一方、なにも変わらず昨日と同じと思われる方もいるでしょう。
それでも一日一日必ず変化して行くのです。無常です。
たとえ生き恥をさらそうとも、阿弥陀様に頂いた命です。
お念仏と共に自由に生きていきます。