他の宗派のことをあれこれ言うつもりは無いのですが、最近私の周りでやたら幸福の科学の人が多くなりました。
議員に立候補するからよろしくなどと突然家を訪問してきます。
地方議員(市町村議員)も既に全国で十七名ほどいるようです。
幸福の科学の冊子も置いていくので何冊か読みました。
霊言という言葉を使い、過去の偉人が降臨し大川隆法氏を通していろんな提言等をされています。
また、体験談も沢山書かれており、現世利益のことが沢山書かれています。
既にHSU(ハッピーサイエンスユニバーシティー)も出来ています。
高等学校もあります。
「幸福の科学」という冊子や、「ザ・伝道」という体験誌もあります。
内容は高森顕徹会が出版している「とどろき」よりも充実しています。
ほとんどが三帰誓願(仏法僧に帰依する=幸福の科学に入信する)することにより幸せになった、あるいはなるという話ばかりです。
そして、大川氏の話はほとんど先人達の人生訓が多いです。
冊子には覚りを開くとかそういうことは何処にもありません。
きっと会に入っていくと序列がはっきりしてくることでしょう。
なにせ、大川氏の新しい奥さんは坂本龍馬の生まれ変わりらしいので。
ところで、今回は何が言いたいかというと私という者は苦しい事があると何でも掴もうとするだろうということを幸福の科学の冊子を読んでいて気がつきました。
子供の頃、母親が占いに凝っているのに引きずられ手相や占星術などの本を読みました。その本の影響を受けたのかどうか知りませんが、行動が時にそういうものを基準にすることがありました。
当然、日の善し悪しを考えたり、方角を気にしてみたりしていました。
ですから、浄土真宗のみ教え、お釈迦様のみ教えに遇わせていただいていなかったら、いまごろ幸福の科学などを有り難く拝聴していることでしょう。
人生の苦しみにぶち当たった時、藁をも掴む自分がいますから。
それくらい今の苦しみから解放されるであろう言葉が沢山幸福の科学の冊子からも伝わるのです。
要するに一般的に感動する言葉が散らばっているのです。釣り餌ですね。
一度はまってしまったら、そこから抜け出して本当の真実と向き合うことは本当に難しいことだなと思います。
刷り込まれた知識や経験をリセットすることはほとんど不可能に近いことかもしれません。
高森顕徹会の会員も同じ状態だと思うのです。
餌につられて一度入ってしまって、何年もそこにいるとそこでの考え方や行動規範が身体に染みついてしまいます。そこを抜け出て自分のいる世界を見直すことは、勇気の要ることであり不安なことなのです。
片目の猿の仲間の中で一匹だけ両目の猿になるのですから。
そこで独り立ちさせてくれるのが仏様、阿弥陀様のお力だと教えて頂きます。
独り立ちと言っても常に阿弥陀様が付いておられるのです。
一人でいて一人でない、ありがたいことではないですか。
事実を事実としてそのまま見ることを教えて下さるのです。
誰よりも正常だと思っている自分が実は迷いの塊であると教えてくださるのです。
虚仮不実の世の中と非難する自分が実は虚仮不実と気がつかせていただくのです。
光明無量、寿命無量の南無阿弥陀仏にそのお力があるのです。
その南無阿弥陀仏が今私に呼びかけておられます。
畢竟依に帰命せよ。