とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

オウム真理教 教祖と弟子の死刑

 2018年7月6日と26日に、ご存じのようにオウム真理教の教祖、麻原彰晃 他 弟子12人の死刑が執り行われました。

 過去にこれほどの死刑が執り行われたことを私は知りません。

 オウム真理教については、地下鉄サリン事件で覚えている人が多いと思います。

 ヨガの修行をして覚りを開くことを目的としながら、結果的には麻原彰晃の欲望から出た目的を達成することが弟子達の目的となっていました。

 まさしく一盲衆盲を率いて火口に堕つを地で行く団体でした。

 当初は純粋にヨガを通して、覚りを求めていたようですが団体が大きくなるにつれ歪んでいきました。

 結果的には、カルト宗教と呼ばれる団体となりはてました。

 麻原彰晃については、私が高校生の時、近くの本屋にぴょんぴょんしている写真が表紙の本が沢山並んでいました。

 ぺらぺらめくって読んだ記憶があります。

 何が書かれていたか忘れてしまいましたが、当時、個人的に沖正弘師の著書、「実践瞑想ヨガ入門」に基づきヨガをしていたので、麻原彰晃の本を「ふーん」という感じで読んでいたことを覚えています。

 たぶん、不思議体験的なことが書かれていたと思いますが、既に自己流ですがそれなりに不思議体験をしていましたので麻原彰晃の本にあまり興味はありませんでした。

 しかし、何も知らなければ引っかかっかたかもしれません。

 死刑になった弟子の中川智正は、オウム真理教から心は離れていたと聞きますが、残念ながらこの世は自分の犯した罪は償わなければなりません。

 社会的制裁を受けなければなりません。

 彼もオウム真理教に出会わなければ立派な医者になっていたかもしれません。

 また、お釈迦様の時代ならば懺悔することにより許されたかもしれません。

 すべては後の祭りです。

 高森顕徹会の会員は、高森会長の言われるがままに偽装勧誘や人集め、金集めを行っていますが、オウム真理教ほどの犯罪は犯さない団体だったことは不幸中の幸いと言えると思います。

 しかし、必ず自分の行った行為の結果は受けなければなりません。

 それは、今生だけでなく来世にも間違いなく引き継いで行きます。

 そして、我が身の後生を考えたとき、身震いすることがあります。

 高森会長を初め、専任講師から末端の会員に至るまで、我が身のなした業から逃げることは出来ません。

 

 個人的には、地獄(何処に行くか分からないがとても極楽に生けるようなものでない)に落ちるのが定めと知らされ、それを受け止めるしかないことも知らされました。

 阿弥陀さまを我が物にしようとしていたのが、大きな間違いと知らされました。既に阿弥陀さまは先手だったのです。

 落ちるしかない私を落ちるそのままで救うと誓われていたのですから。

 

 今思うと、よくぞあの高森顕徹会から抜け出させて頂いたものと、遠く宿縁を慶ばずにおれません。

 劣化した高森会長の結論の無い話を何十年も聞かされ、半ば今生での後生の解決は諦めていながら、他に行っても真実は無いとマインドコントロールされていましたから。

 

 だから、未だ会員として高森顕徹会に在籍している人の話を聞くたびに非常に残念な気持ちになります。

 知識帰命でいることに安心しているのか、高森顕徹会以外を知らないのか、知ろうとしないのか、いずれにしてもその人の宿業、宿縁としか言いようがないのですが、その言葉で片付けることが出来ないくらい複雑な気がします。

 ある現役会員が退会者に愚痴を言っているという話を聞きました。

 だったら退会すれば良いのに退会出来ずにいる人がいるということは、その人にとって後生の一大事の解決はどれくらいの問題なんだろうと疑問に思ってしまいます。

 この一大事、解決出来なかったらどうなるのか。

 本当に分かっているのか。

 たとえ死刑にならなくても、一瞬先は間違いなく闇の中です。

 分かっていなくても、教えられたことが本当だとすればなんとかしようとするものです。私は高森顕徹会で教えられた後生の一大事の解決を知ってなんとか解決したいと思って生きてきました。

 そして、高森顕徹会では後生の一大事の解決が出来ないことがハッキリしたから、高森顕徹会を退会したのです。

 だから、そのことを問題にせず一体何のために高森顕徹会にいるのか、そう思ってしまいます。

 

 あー、現在、ただ今、落ちるそのままの南無阿弥陀仏、それしか無いんです。

 こんなに簡単なことだったのかと思うのですが・・・。

 そういう意味でも、この教えは極難信ですね。

 

 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏