マトリックスという映画は、1999年の映画です。
知る人ぞ知る有名な映画です。
内容は簡単に説明しますと、人間はコンピューターに支配され発電機として人工的に養殖されています。人間の生体エネルギーが発電をし世界を維持しています。
一人一人繭状のカプセルの液体の中で培養されて生かされています。
そして、意識を操作してバーチャルな世界(簡単に言えばテレビの世界)に生きています。
しかし、そのバーチャルな世界の違和感に気付く事により本当の自分の姿に気がつきます。気付いたとき、目が覚めたときバーチャルな世界では生きていけなくなってしまいます。
目が覚めた人は、もう元の世界に戻れない。
そして、コンピューターと戦います。
今の自分は本当の自分なのか、本当の自分はどこにいるのか。
本当の自分は今の自分とは違う。
まるで仏教の空(くう)に目覚めた人のように思います。
迷っていることに気付き自分の世界が異なって見えてきます。
「アントマン」は2015年の映画で、身体が大きくなったり小さくなったりすることが出来る映画です。
小さくなってアリを操りいろいろな問題を解決していきます。
その中で、ある女性のアントウーマンが小さくなり続けることになります。
どんどん小さくなっていく、それも際限なく。
これは果てが無い世界です。
これ以上小さくなることが出来ない世界があるのか、無いのか、物理学の問題ですが答えはありません。
反対に宇宙には果てがありません。
小さい世界に果てが無く大きい世界に果てが無い。
さて、我々の生きている世界はどういう世界なんでしょう。
三次元に時間軸を加えて4次元の世界に住んでいますが、時間をさかのぼることは出来ません。そして、常に変化しています。
その世界において物質はどういうものなんでしょうか。
物質の根源は分かっていません。
当然、命についても分かっていません。
一つ分かっているのは、私は生まれて必ず死んで行くことです。
そして、お釈迦様のお言葉どおりとすれば、次の世界に生まれていくと言うことです。
今の自分の生きている世界は、どういう世界なのか全く分かりません。
この世のことは何も分からないと言うことに気付いたとき、なんと不安定な世界に生きているのかが分かります。
そして、すべての現象が映画のように流れ去っていきます。
不思議な感じがすることがないでしょうか。
果てしの無い世界に生き、今の自分の満足の為に生きた先には何があるのか。
考えてみるととんでもない世界に生まれてきたなと思うのは自分だけでしょうか。
仏様から見たこの世界はどのような世界なのか。
すべてはつながって縁起によって変化し続けていると言われます。
生死一如、生も死も無いとも言われますが、さっぱり分かりません。
映画の原作者や脚本家はどれだけ考えているか分かりませんが、自分が生きている世界の分からないことを題材にしていることが結構あると思います。
本人達は意識していないでしょうが、仏様が働いておられるのではないかと思うこともあります。
お釈迦様がお生まれになられなかったら、六道を始め悟りや阿弥陀様のことも分からずじまいだったのでしょうね。不思議不思議の他は無し。