とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

枠を壊す

枠を壊すとよく言われます。
意味は自分の考え方や物(者)の見方、あるいは行動を変えてみることです。

朝起きて必ずすることの一つを変えることでも大変です。
たとえば、朝、顔を洗って、朝食を食べた後、歯磨きをするとします。
その順番を変えてみたり、散歩を加えてみたりすることです。
そんな些細なことでさえなかなか変えることが出来ません。
一度染みついた習慣はその人の人格の一部でもあります。
無くて七癖と言われるように人にはそれぞれの行動においての個性があります。

まして、行動だけで無く考えていることや考え方を変えるとなるとこれは本当に大変だと思います。

人には自己保身の本能があります。
責められると必ず防御態勢に入ります。
最近は子供の頃から周りに気を遣って生きて行かなければなりません。
KY(空気読めない)などどレッテルを貼られたら大変です。
そんなレッテルを貼られると子供なら死にたくなるでしょう。
だから周りから責められないように気を遣ってほとんどの人が生きています。

人口のほとんどが農業に従事していた時代なら多少性格や行動が変わっていようが関係ありません。
しかし、現代の環境で大人になるには、心臓を鍛えるか、うまく立ち回るか、目立たないようにするかを選択していかなければなりません。
そうやって自分を守るために自分に枠を造っていきます。

ですから、行動や考え方の枠を壊すのは本当はとんでもなく難しいことなのだと思います。

個人的な話ですが、私も自分のある枠(考え)を壊すことがなかなか出来ませんでした。
今でも難しいなあと思っています。
あるとき、親から言われた言葉にズーッと捕らわれて、それが原因で腰痛が起きたことがありました。
結構長く腰痛が続き仕事にも支障が出るほどでした。
ところが、ある本を読んで目から鱗が落ちる気がしたことがありました。
ある本とは「ドクターサーノのヒーリングバックペイン」という本です。
簡単に言えば、腰痛の原因は骨の異常では無いということが中心に書かれている本です。
興味がある方は読んで見てください。
腰痛の原因は骨の異常だと思っていたが、骨の異常では無い、痛みを学習する脳が原因なんだと書かれた本を読んで、
その時、初めて「腰痛の原因は骨ではなく、ストレスが原因だったんだ」ということに気付かされたのです。
一般的に腰痛は骨の異常が原因と言われます。
しかし、腰痛の原因がストレスから来るなどとは思ってもいなかったのです。
そういう意味でも私は、腰痛の原因は人類が二足歩行をしたときからついてまわる運命であると思い込んでいました。
腰痛について自分で枠を作っていたのです。
ところがそうではないと書かれていたのです。

親からなんとかしてくれと頼まれ、なんとかしようとしました。
当たり前なのですが、他人から言われたことなら無視できますが、親から言われたこととなると無い知恵絞って何とかしようとします。
何ともならないことを親から言われたのです。それを何とかしようとしていましたが、やはり何ともならないことは何ともならない。
駄目なものは駄目なんですね。
他人から見たら、さっさと諦めれば良いのにと思うようなことでも、親から言われたことは必死で守ろうとしていた自分に気がついたとき、
自分で自分に枠を作っていたなと思いました。それがストレスの原因となり、腰痛を引き起こしていました。
その枠が外れたとき、腰痛が無くなりました。

まあ、私の場合の話ですので皆さんはもっと簡単にいろんな問題をクリアーしているかもしれません。
しかし、自分でいったん作った枠は、枠と意識せずに生きているため、その枠に縛られてがんじがらめになっている人が多いような気もします。

最近読んだのですが、夫婦二人で自転車に乗って世界一周をしたブログがあります。「二人四輪」というブログです。
読んでいると一緒に世界を一周している気になります。
とても楽しい記事なのですが、行く先々でいろいろなトラブルに巻き込まれながらも世界一周を成しどけます。
すごいことだなと思うのですが、かれらが世界一周をして「ものの見方が広がった」と言われています。
他にも沢山、チャリダー(自転車旅行者)のブログがあるのですが、同様に「ものの見方が広がった」と言われている人がいます。
これは「枠を壊す」と同じだなと思いました。

また、「ものの見方が広がった」と言うのは言葉にすれば簡単な意味でしょうが、一種の目覚めでもあるなと思いました。
どの程度広がっているか分かりませんが、やはり深い言葉だなと思います。

「枠を壊す」のは本当に難しいことです。
しかし、仏教の教え、南無阿弥陀仏は根底から私の考え、枠をぶち壊してくれます。
どえらいものに出会わせて頂いたものです。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏