とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

この世界は理屈や道理だけで理解出来ない

この人間社会は理屈や道理で成り立っています。
理屈や道理に合わないものは間違っているとして排除されます。
だから宗教は理屈や道理で説明出来ないため現代社会では盲信の対象と見なされます。

では理屈や道理とは何か。
目で見、確認した事実や現象により導き出された一般的及び大多数に共通した認識を言葉で表したものに過ぎないのです。

その一つの例が物理学の世界です。
とりあえず、私が興味のある世界の一部を書きます。

特殊相対性理論によると高速移動している物体にいる人と地上にいる人とは時間の進み具合が異なります。
実際に宇宙ステーションにいる人と地上では時間がずれます。
タイムマシンが実現すると言われる理由がここにあります。
この現象は数式によって表されます。

Δt'= (√(1-(v/c)^2))*Δt

ウラシマ効果と言います。

また、光速に近づけば近づくほど質量が重くなります。
有名な E=mc^2 の式で表されます。
原爆はこの数式を目で確認できた現象の一つとも言えます。

光はどこにいても同じ速度です。
地球にいようが高速で飛ぶロケットのなかにいようが同じです。

物には重力ががあり大きければ大きいほど大きくなります。
また、重力が大きいほど時間の進み方が遅くなります。

ですから地球の重力が弱くなおかつ宇宙空間を地球の自転に合わせて高速で動いているGPS のための人工衛星は時間及び位置補正を常に行っています。

これらの現象は何故起きているのか、またその理由を果たして説明出来るでしょうか。
起きていることは事実なのです。
そして起きている現象の一部は、数式で一応表すことが出来ています。

人類が知っていることは、この世界のほんの一部でしかありません。
それも絶対的な真理ではありません。
我々が考えた理屈や道理に我々が従っているだけです。
数学や物理の概念だって新しい考え方が今後発明あるいは発見されるかも知れません。
世界が天動説から地動説に変わったように世界観が一変することもあるでしょう。
なのに人間の考えた理屈や道理が世界を支配していると勘違いしています。
その頭で宗教を考えるから、まず、受け入れることが出来ません。
ある意味、受け入れることが出来なくて当たり前なのです。

だいたい「宗教は理屈に合わない。宗教は盲目だとか、宗教に頼らなければ生きていけないのは人間として弱い。」と思う考え方が現代においては一般的になっています。
そう言いながらこの世界は理屈や道理に合わないことで一杯です。
そして、一度不幸や災難が訪れると「何で自分がこんな目に遭わなければならないのか」とやり場の無い怒りに支配されます。
そもそもそう思うこと自体心が弱い証拠では無いでしょうか。
手足の1本が無くなろうか、家族が死のうが自分が死にかけになろうが関係ないくらいでなければならないのか。
実際には、そんな人は不幸な人でしかありません。

所詮、人間は弱い存在なのです。みんな強がっていますが一人になれば寂しい人たちばかりです。
また、どれだけ理屈をこねても真実は見えてきません。
果たして、本当に宗教は必要無いのか。

私は自分の存在が何て不安定な所にいるのかに気がついて愕然としたことを覚えています。
死に対する恐怖です。
科学でも哲学でも解決できない問題に途方にくれていました。
死など皆が通る道だから何も怖れる必要はないと頭で考えても、どうしても納得が出来ませんでした。
真っ暗がりで出口の見えない世界に閉じ込められているようで人生が空しくてしかたありませんでした。
どんな生き方をしようが全てが死によってリセットさせられてしまうのです。

「何のために生まれてきたのか。」

光を求めていました。
今死んでも後悔しないことが出来るのか。
だから、そんなときに救いのある教えに出会ってコロッと騙されました。
騙されたのに気がついて、そこから離れても救いを求める気持ちには変わりありませんでした。

運良く正しい仏教に出会うことができたお陰で、他の宗教も冷静に判断することが出来るようになりました。
果たして私の選択が正しいかどうかは分かりません。
しかし、少なくともお釈迦様のお導きにより阿弥陀仏という仏のお慈悲には出遇わせて頂きました。
そのおかげで今は煩悩に振り回されながらも元気に生活を送らせていだいています。
後生はどうかと言われても「死にたくない」しかありませんが、後は阿弥陀様のお仕事と言い切ることができます。

理屈では説明できないことですが、出遇ってしまったのです。
今、皆さんも私と同じように阿弥陀様に出遭われていると思うのです。
何を選択するかは、最後はお一人お一人のご判断です。

阿弥陀様は、現在、ただ今、落ちるそのままの私を南無阿弥陀仏一つで救うと誓っておられます。

不思議、不思議の他はなし。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏