とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

アンコール・ワット


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数年前の事ですがアンコール・ワットの遺跡を見に行きました。

カンボジアにある仏教遺跡なのですが、ヒンズー教も混じった遺跡になっています。

カンボジアでは、憲法で国教が仏教(上座部仏教)と定められており、人口の大半を占める約98%が仏教を信仰しています。

出家して厳しい修行を積み、悟りを開いた者だけが救われるという考え方の上座部仏教です。

もともとクメール王朝時代にはヒンドゥー教が国教とされていましたが、歴代の王が信仰する宗教によって国教は何度も変更され、13世紀中ごろに上座部仏教へと落ち着きました。

この名残もあり、アンコール・ワットも仏教とヒンドゥー教が混ざったような建造物です。

遺跡の一つ、タ・プロームは映画トゥムレーダーのロケ地にもなりました。

ジャングルのなかに蒼然と聳え立つ遺跡は圧巻でした。

そもそもジャングルがどういうところなのか全く想像出来なかったのですが、アンコール・ワット上から見たら果てしなく広い平野に木が一杯という感じでした。

それでよく分かったのですがジャングルに迷い込んだら抜け出せない迷路だと思いました。

日本にはそんなところは北海道の平原か富士山麓の樹海ぐらいしかありませんのでイメージがなかなか出来ないのですが、果てしなく広がる森の中では道に迷っても不思議ではありません。

まして昔ならGPSもありませんので森の深くまで入ることもなかったのでしょう。

ですからアンコール・ワットは都が移された1400年頃から1600年頃までは地元の人しか訪れない忘れ去られた遺跡になっていました。

 17世紀前半には朱印船貿易を通じて日本人にアンコール・ワットの存在が知られるようになりましたが、当時の日本人はこの寺院を祇園精舎と誤って認識していました。

また、通航の増大により、日本から巡礼客が訪れるようになり、1635年の海外渡航禁止まで続きました。

当時の日本人参拝客の墨書はアンコール・ワットの各所に残されていますが、なかでも1632年(寛永9年)、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に壁面へ残した「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」という墨書は広く知られています。

その後、ベトナム戦争も終わり1979年にクメール・ルージュポルポト派)が政権を追われると、アンコールワットをシンボルにもしている彼らはこの地に落ち延びて本拠地にしました。

アンコール・ワットは純粋に宗教施設でありながら、その造りは城郭と言ってよく、陣地を置くには最適だったのです。

周囲を堀と城壁に囲まれ、中央には楼閣があって周りを見下ろすことが出来ます。

また、カンボジアにとって最大の文化遺産であるから、攻める側も重火器を使用するのはためらわれました。

当時置かれた砲台の跡も修復されていましたがガイドさんに教えて頂きました。

しかし、遺跡にはこれが災いして祠堂の各所に置かれた仏像がさらなる破壊を受けました。

内戦で受けた弾痕も、修復されつつありますが一部にはまだ残っています。

今は寺院としての機能を維持しつつ観光施設となっています。

また、ベトナム戦争の被害を受けた傷痍軍人たちが楽器を奏でて物乞いをしている場面にも出会いました。

それと至る所で僧侶に会いました。

また、小さな子供の僧侶も沢山見かけました。

カンボジア北朝鮮と同じ共産主義でしたが割と民主的であり、言論統制されているような感じはしませんでした。(訂正:現在は立憲君主制でした。ただ、昔の流れから北朝鮮とは仲が良いのです。)

やはり国教が定められてるだけあるなと思います。

宗教遺跡を沢山回ったのですが博物館や寺院を見学しなかったのでカンボジアの仏教教義についてはほとんど勉強する機会がありませんでした。

それでもお釈迦様のみ教えの影響のすごさを実感することは十分出来ました。

 

今回は全く阿弥陀様とは関係ない記事になってしまいました。

どうせですので当時の写真もアップしておきます。

どうでも良いことですが王さまもご覧になった女の人の踊りがとても美しかったのを今も覚えています。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

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レストランでの アプサラダンス アンコール・ワットの遺跡にも彫られています。

 

追伸

早く自由に旅行できるよう祈るばかりです。