とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

世間虚仮 唯仏是真

今は新型コロナのために世の中が揺れ動いています。
生き残るためにどうするのかあらゆる団体が対策を練っています。
中には火事場泥棒のような商売をしている人たちもあります。
一方で儲かって仕方ない会社もあります。
当然、反対の人たちも多くいます。
そして、ご法話会はほとんど全て中止です。
それでもネットでご法話を頑張っておられる方もあります。

善導大師は、この娑婆世界を以下のように言われています。

四方八方眺むれど、唯、愁嘆の声のみぞ聞く

高森顕徹会もよく使う言葉ですので嫌なのですが、これは事実ですからやむを得ません。

生き残ることができなければ、人知れず死んでいくだけです。
今でも孤独死はあちこちであります。
今は戦争中と同じくらいと考えた方が良いのではないかと思います。

お釈迦様はこんなとき何と仰っておられるのか。

法句経にこうあります。

われらはここ 死の領域に近し
道を異にする人々は このことわりを
知るに由なし このことわりを知る人々にこそ
かくしてイサカイは止まん

私たちは、この地上において、やがて死を迎えなければならない。
この事は本当に気づかない人も多い。しかし、この事実を自覚する人たちの間では、もはや諍いは無くなっていくだろう。

色々な解釈の仕方がありますが、私はこう味わいます。

死はいつも目の前にある。
その事を事実として受け止めたなら、あとはお任せである。
生きるも死ぬも縁次第。

ところが現実は、命も大事だか経済も大事、だからどうするのかと、国会議員達や国などの組織を問い詰めています。
テレビでは連日、このような内容が連呼されています。
そして、テレビと言う箱のなかで話している人達は経済的に問題の無い人ばかりです。
本当に困っている人も中にはいるでしょうが、あまり声は聞こえてきませんし、例え聞こえたとしても私には救う力はありません。
自分のことで精一杯です。
どうしようもないので自分で考えるしか無いのです。
残念ながらこの世はサバイバルなのです。

阿弥陀様にお任せしたところで死にたくないのは変わりません。
法句経のような訳にはまいりません。
じたばたしっぱなしです。
それでも阿弥陀様のお陰で今の私があります。
世間虚仮そのままの私を、現在、ただいま、必ず助けると仰っているのです。
私は虚仮、阿弥陀様は真実です。
南無阿弥陀仏は真実の塊です。

ですから、何が起きても受け止めるしかないのですが、そうはいっても苦しいのは嫌が私です。

私は、このまま、じたばたしながら新型コロナが落ち着くのを待つだけです。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏