とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

自分の死は常に遠い

新型コロナが原因で私の回りの人で病気を異常に怖れてほとんど外出しない人もいます。
病気になって酷くなって死んでしまうかもと思っているのでしょう。
緊急事態宣言が出る前は町中に普通に人がいたのですが、再度の宣言により今はやはり少なくなりました。
宣言と関係ない処でも子供から大人まで皆マスクをしています。
マスコミの煽りがすごいのか同調圧力がかかっています。
自粛警察などと言う造語を作ってマスコミは更に煽っています。
さも正義の味方のようなふりをして弱いものいじめを楽しんでいるとしか思えません。
そんな暇があるならウイルスはどんどん変異しているのだから中国を始めとする外国人の入国管理をしっかりすべきだと思うのです。
(記事を書いた時点ではビジネストラックを止めていませんでしたが、14日からようやく止めました)
又、65歳以上(訂正:80歳以上です。80歳以上になると急激にコロナの死亡率が上がるそうです。また、80歳以上の人も結構な数の人か外を出歩いています。個人的には後期高齢者と言われる75歳以上かなと思うのですが。)の人の外出を出来るだけ控えることが大事だと思います。
まあ、個人的感想ですが。

こんな状況を見るにつけ思うのは、自分は何とか死の恐怖から逃れて助かろうとしている姿です。
当たり前ですが死からは逃れられないのですが、少しでも遠くに置いておきたい心理がハッキリと働いています。
眼には見えない心理ですが間違いないのです。
ここは本当にハッキリしていることです。
ご信心がわからないと言っている人でもこの事はハッキリしているのではないでしょうか。
では、この心理はどこから来るのでしょうか。

生存欲という言い方があります。
生きたいと思う気持ちです。
その元の一番は食欲と言われています。
当たり前と言えば当たり前なのですが改めて言われると「ふーん」と思ってしまいます。
確かに食欲は子供から大人まで死ぬまであります。
人間だけでなく動物の世界はこれが大きな目的になっています。
戦争では飢餓が最大の敵です。
腹が減っては戦は出来ぬです。

人は死ぬが死ぬまであらゆる命を食い続けます。
恐ろしいことです。
と言うことは死にたくない、絶対死なないぞとしか思えないのです。
そんなことはないと思うなら一度絶食してみれば分かります。
私は一日ももちませんでした。
そうやって自分の命をつないで遠くへ遠くへ死を押しやっているのです。
いつか必ず来るとは頭で分かっていても、心からそうは思えない自分がいるのがハッキリと分かります。

やっかいな者です。
これが凡夫という者の姿です。

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「一念多念文意」
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。

かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。
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そんなものを救う教えがあるとは本当に希有なことです。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏