宗教をやっていて思うのは、現代はあまりに偏見に満ちているということです。
カルト宗教と呼ばれるものだけでなく既存の宗教についても無批判に受け入れ信じている姿は愚か者に見えるのでしょう。
宗教に頼っている人は弱い人であり、また、愚か者という印象が否定出来ません。
過去に沢山の人と出会い別れて来ました。
私のことを理解してもらおうとしたこともありましたが、最近は半ば諦めています。
縁あれば話そうと思いますが積極的にこちらから宗教について話すことはありません。
そういう中でも縁あって話した人も結局疑いの眼でこちらを見てそれで終わってしまう人がいます。
残念だなと思う反面、心の壁は自分が作っているのだということがわかります。
こちらはニュートラルに接しようとするのですが、相手が騙されるものかと構えています。
それが本当に良く分かるのです。
「そうだよなー」と感じてしまいます。
「縁無き衆生は度し難き」と言われますが本当にそう思います。
自分に置き換えて見ればその通りなのですから。
偏見に凝り固まって頭ががんじがらめになっているのです。
大したことのない能力しかないのに自惚れて、また、臆病になって自分の殻に閉じ籠っているのです。
本当は誰かに頼りたいのに誰も信用していない哀れな存在が私の姿です。
常に何かに脅えてビクビクしている小さいものなのです。
そんなものをお天道さんの元へ引きずり出すのは大変なことです。
結局自分の問題なのだと思うのですが、とてつもない無力感を感じます。
翻って、阿弥陀様はそんな私を哀れんでご本願をお建てくださいました。
そのお陰でまず仏法に出遭うことが出来ました。
これが最初の壁です。
ここを乗り越えさせていただく事がどれだけ大変なのか本当にしみじみ思います。
それだけ迷いの深い世界に沈んでいると言うことです。
そして、阿弥陀様のご本願とのご縁により自分の心の壁を乗り越えさせて頂きました。
この不思議は不思議の中の不思議なのですが越えてみないと分からない世界です。
いつつの不思議をとくなかに
仏法不思議にしくぞなき
仏法不思議といふことは
弥陀の弘誓になづけたり
親鸞聖人 高僧和讃
私が何か世界の全てを知っているわけではありません。
ただ、自分の心の壁に振り回されているのは今でも同じですが、少なくとも南無阿弥陀仏については越えさせて頂いたと思うのです。
南無阿弥陀仏による自由で平等な世界が本当にあるなんて思ってもみませんでした。
世間虚仮 唯仏是真
とても信じられる世界ではありません。
自力で分かる世界では無いのです。
すべて阿弥陀様から賜る世界なのです。