とうとうまた一年が過ぎようとしています。
今年一年何があったのか考えてみます。
いろんなことがありました。
正月、いきなり能登で大きな地震があり多くの人が亡くなり地域が消滅しかかっています。
そもそも過疎の地域で地震が起きたのですから再起の可能性も小さくなります。
産業も特に大きなものもなく輪島塗や観光産業などくらいなのでしょう。
人がいなくなるのが当たり前のような土地と思ってしまうのは私だけでしょうか。
そんな土地が全国に多くあります。
日本の産業のほとんどは都市部に集中しており地方の過疎地域にはあまりありません。
これはアメリカでもほかの世界の国でもいえることで皆都市の生活にあこがれ、地方を離れ都会を目指して集まります。
日本の産業別労働者の分布についても第一次産業が大きく減りサービス業が多く伸びでいます。
どの年度で比較してもどんどん差が大きくなっています。
戦後のGHQの政策などにより日本の産業は大きく変えられてしまいました。
それがよかったのか悪かったのかわかりませんが今政治に国民の目が向き始めたのはそのことに気づき始めたからなのかもしれません。
どこかの候補者が地方がダメになると国がダメになると叫んでいました。
その通りだと思います。
武漢ウィルスの猛威が収まって社会も大きく変化しています。
お寺もどんどん衰退しています。
門徒の数もどんどん減っています。
宗教に対する問題も多く取り上げられ既存宗教と新興宗教の区別もわからず宗教は危ないものとレッテルを張られています。
外国人の移民による問題も宗教的な問題を多く抱えています。
これからの日本を考えると憂鬱になります。
いや日本だけではありません。
今、世界で本当に幸せに暮らしている国はどこにあるのでしょうか。
どこへ行っても「ただ、愁嘆の声のみぞ聞く」です。※
そんな日本を少しでも良くしたいと多くの人が考えています。
その願いが少しでもかなうよう一人一人の力が必要なのだと思います。
私に何が出来るのかケネディの言葉を思い出します。
国のために何が出来るのか。
それが結局自分のためになるのでしょう。
自利利他の精神は大事だと思います。
そう思いながらこのわが身を見た時、・・・・・・・。
ああ、今年も一年無事に過ごすことが出来たことは有難いことです。
個人的にもいろいろなことがありました。
今元気なのは自覚はありませんが阿弥陀様のおかげなのでしょう。
教行信証などを拝読していますとそう思わされます。
仏様から見た世界のこと、そして自分のことが分かったらこんなに暢気にはしていられないでしょう。
(私だけかもしれませんが・・・)
来年も命がありましたら(あると思っています)よろしくお願いします。
※教行信証 行巻(善導大師 定善義)
帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。
曠劫よりこのかた六道に流転して、尽くみな経たり。
いたるところに余の楽なし、ただ愁嘆の声を聞く。
この生平(しょうびょう)を畢(お)えて後、かの涅槃の城に入らん。
(帰去来:陶淵明の「帰去来辞」の中の言葉)