世間でよく言われている言葉に「ありのままに」というのがあります。
非常に耳障りが良く、皆が納得しやすい言葉ですが、よくよく考えてみるととんでもない言葉です。
人間の存在を性善説でとらえている場合は良いかもしれませんが、人間はそんな甘いものではありません。
仏教用語を使うまでもなく、人間は社会的動物なのです。
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古代ギリシャの哲学者 アリストテレスの言葉
人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)独特の自然本性を有する動物である、ということを述べた。
人間が単に社会を形成している、とか、社会生活を営む一個の社会的存在である、などと言ったのではなかった。
だが、原典を読み前後の表現を自分で確認しようともしない人々の間に誤解が生じた。生物学者や生物学を学ぶ学生などのなかには、アリストテレスが「人間は社会的動物だ」と言ったと信じていて、しかも独特の解釈をする人が多い。(wikiより)
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社会の中で共存し、その中で幸福を感じることができる生き物が人間なのです。
ですから自分勝手な行動を「ありのままに」という言葉が肯定しているわけではありません。
しかしながら勝手なもので自分独自の解釈をする人が蔓延しています。
欲望のそのままを「ありのままに」と誤解している人もいるかもしれません。
残念ながら法律は一般常識的なものしか定められておらず他人を顧みない行動について細かく規定されたものではありません。
昔のことはよく分かりませんが自分が幼かったころより今は非常識な人が増えいているように思います。
社会構造の変化も大きいと思います。
地方に生まれ、そこで育ち、生活し、そこで死んでいく、そのことに意味があるのかないのか分かりませんが近年は多くの若い女性が閉塞感を感じてそこから都会へ出ていることは人口統計から明らかになっています。
都会に幸せがあると思って出て行くのでしょう。
地方の田舎にいれば「ありのままに」生きることが出来ないと思っているのかもしれません。
あるいは何かを成し遂げたいために都会にいく人も多いと思います。
そこではしがらみの少ない自由な生活ができると思っているのでしょう。
しかし、実際はそんな甘いものではありません。
欲望渦巻く「ありのままに」生きている人たちに揉まれ傷つき都会を去る人が多くいるのも事実です。
そのことに関しては今も昔も変わらないと思います。
ちまたではYoutubeなどが爆発的に広がっています。
テレビでは放送できない刺激的な内容のドラマやドキュメントなどたくさんあります。
それこそ無法地帯と言ってよいと思います。
ある意味自由な世界で「ありのままに」を言葉通り実践している社会的実験と言っても過言ではありません。
私も好きであちこちを見ていますが倫理、道徳など無視したチャンネルが多くなったと思います。
それこそ五欲丸出しのチャンネルが増えているように思います。
恥という言葉が死語になりつつあります。
Youtubeによってこれから社会がどう変わっていくのか注視していく必要があります。
仮に浄土真宗で「ありのままに」という言葉を使うとき今のYoutubeの世界を想定しているとは思えませんが、阿弥陀様は「「ありのままに」来い」と言われていると使うのはちょっと使い方が間違っているように思います。
南無阿弥陀仏に込められた意味は「ありのままに」来いと簡単に説明できるものでは無いと思うのです。
「そのまま来い」も「「ありのままに」来い」も似たような意味だとは思いますが、しかし、「そのまま来い」と「ありのままに」には使い方に大きな違いがあると思います。
使う言葉の状況が全く違うと思うのです。
とは言うものの「そのまま来い」も考えようによっては誤解を生む可能性があります。
「そのまま来い」も「ありのままに」も使い方をよくよく考える必要があります。
危険な言葉だと私は思います。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏