新年早々様々大規模な災害や大きな事故が立て続けに起きています。
無常とはこのことですが、昨年末に平穏が一番と書いていましたがそんな年は少ないのかもしれません。
お隣の国は相変わらず日本にちょっかいを出し続けています。
南の島は今にも取られそうなのに平和ぼけした日本は蓋をしたままです。
いい加減目を覚ましてほしいのですが・・・。
そう言いつつも無常は待ったなし、今年はどうなってしまうなんてのんきなことを言っているのは全く自分のこととして考えていない証拠です。
開き直って「だからどうした、どうせ今日一日楽しく生きるだけです。」と心の声が聞こえてきます。
本当にそれしか考えていません。
能登の方たちのことは本当に大変で、もし自分がその立場だと思うとテレビ放送を見ていると腹が立ちます。
何社も被害者の方の放送をしていますが、もし自分にマイクをぶつけてきたら殴ってやるかもしれません。
ゴミの一つでも片付けろと言いたくなるかもしれません。
正直言って邪魔、そう思います。
ところが能登の人は「よくこんな中来たね」と逆にねぎらいの言葉をかけているのです。
本心なのかどうかわかりませんがアナウンサーが逆に泣いているのです。
すばらしい対応です。
私とは全く違う対応なのです。
テレビなどは何が足りないのか、何を一番必要としているのか、それを正確に伝えることはできないのか。
各放送局が独自に分担して被害調査をするなど出来ないのか。
NHKが被害を受けた放送局に燃料を自衛隊に運べと要請したみたいですが、自分で何とかしたらどうかと思ってしまいます。
これがマスコミの姿なんですね。
被害を受けて苦しんでいる人より報道が大事なんですね。
その報道内容はどうなんでしょうか。
たとえば、道路の被害状況を調査し官庁に報告したらどうでしょう。
偽の自衛官など火事場泥棒が空き巣に入っているのを阻止できないでしょうか。
孤立されたところに暖房器具の一つでも持って行ったらどうだとか思ってしまうのは自分だけでしょうか。
そういう自分は結局、県庁のホームページを探してわずかな寄付しかできません。
見ていることしか出来ない、それが私です。
そして、次の瞬間は自分の明日のことを考えています。
仏様は、私と仏の境がありません。
この人生は苦しみの連続です。
そこから救わせてくれと仏様が手を下げて私にお願いしているのです。
ところがこの私は自分の煩悩を満足させることに必死です。
それどころか今自分が風邪を引いているのでそれが早く直すことが一大事なのです。
世の中安穏なれ、仏法ひろまれ