とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

大乗起信論を読む 1

 今年もあとわずかとなりました。
 一年は早いものです。
 皆さんはどんな一年だったでしょうか。
 世界はとんでもなく混沌としており日本においても煩悩が渦巻きこの先どうなってしまうのだろうと不安になってしまいます。
 平穏に過ごしたいと思うのですが、世の中を混乱に陥らせて喜ぶ悪魔のような人がいるのも残念な事実です。
 来年も平穏に過ごしたいものです。
 さて、今年最後は「大乗起信論」について書きたいと思います。
 たまたま偶然に知ったのですが、本当はかなり有名な本でありながら残念ながら一般受けする本ではありません。
 そもそも、大乗仏教の優位性や悟りを得るための手法などが書かれているため、今の時代にはそぐわなくなっています。
 しかし、その本質は現代でも何も変わらず真実を伝えていると思います。
 ちょっと長くなりますが概要を書きます。
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大乗起信論」は馬鳴(めみょう:アシュヴァゴーシャ、後80年頃~150年頃、古代インドの仏教僧侶)の著作で従来の仏教を出家者中心、自利中心と批判、在家者を重視し利他中心の立場をとろうとしました。
 紀元前後のインドで起った仏教革新運動を大乗仏教といい、この大乗仏教の根本教義を理論と実践の両面から手際よく要約した本書(五,六世紀頃成立)は、中国・日本の仏教者に愛読され,大きな影響を与えてきたといわれています。
 大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと、如来蔵説が唱えられたことなどがあります。
 如来蔵とは本来の自己自身は仏性を持っているということです。
 大乗仏教を体系化したのは、2世紀から3世紀に活躍した龍樹であり、大乗仏教の基盤となる般若経で強調される「空」の概念を説明し、諸宗派に影響を与えました。
 龍樹の思想をもとに形成されたのが「中観派」でありさらに、4世紀に入ると、瞑想(ヨーガ)を通じて心の本質を見る、瑜伽行唯識学派が登場し中観派とともにインド大乗仏教の二大流派を形成します。
 瑜伽行唯識学派弥勒を祖とし、無著と世親が教学を大成しました。
 これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃・煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していきました。
 そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがあります。
 「大乗起信論」は仏教史上極めて重要な書物で、華厳・天台・禅・浄土・真言等の大乗仏教の主要な宗派に大きな影響を与えました。
(wikiなどから引用)
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 現代語訳を読んだのですが言葉の意味が理解できず、文章の関連づけができなくて頭の中でこんがらがっています。
 わかりやすいはずなのですが納得できないことが多く何度も読み返さないといけません。
 とりあえず読んで理解した内容は、心を微細に観察することや六波羅蜜を行うことにより自分にある根元的無知に気づき、それを滅していくことにより悟りを得ていくということです。
 迷い、悟りなどについて詳しく書かれています。
 心の観察方法など具体的に書かれています。
 また、真宗でいわれる正定衆の位にいくには六波羅蜜を1万劫年行じ、仏を供養し心が定まらなければならいないと説かれています。
 さらにこの「大乗起信論」を読むことによる功徳は計り知れないと最後に説かれています。
 きっと馬鳴の悟りの世界から見ると、衆生が仏の教えを学ぶことは本当に希有なことであり、仏の教えは衆生の苦悩を除く希有な法と見ていたのだなと想像します。
 親鸞聖人も少しですが教行証文類に引用されています。
 ああ、聖人も読まれたんだと思うとなんだかうれしくなります。
 今回はご紹介までです。
 いつになるかわかりませんがもう少し読み込んで次の記事を書きたいと思います。
 また、来年も自分にとって、さらに皆様にとって良い一年になりますよう願っています。

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