とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

死の縁無量とは言いながら・・・

痛ましい事件が起きました。

中国深圳の日本人学校に通う10歳の児童が母親の目の前で中国人に殺害されました。

満州事変の発端となる柳条湖事件発生の日でした。

この日は中国において反日の記念日になるそうです。

通学途中に44歳の男に殺されたそうで、すぐさまその男は拘束されたそうですが動機は発表されていません。

今年の6月にも東部蘇州で同じような事件があったのですが、その時は中国人の女性が子供をかばい亡くなっています。

その時の犯人の動機など一切発表されていません。

残念ながらこれがチャイナリスクの一つです。

最初は中国の反日教育や日本政府の反応に腹が立っていたのですが、だんだん冷静になって考えてみると社員の命よりお金を稼ぐことを優先している企業の体質もいかがなものかと思うようになりました。

また、ずうっと反日教育を許している日本政府はこんなにも弱い国になってしまったのかと残念にも思いました。

先日、国会議員が中国訪問をしているときには中国軍機が領空侵犯を犯したにもかかわらずいつもの遺憾砲を言うだけでした。

今回も子供を犠牲にしてでも中国と貿易をしてお金儲けをしたい方が優先するのでしょうか。

残念ながら一部の暴漢が起こした事件としてテレビのニュースもしれっと済まそうとしているように思います。

日本の国の行く末が非常に心配です。

こんなになめられるような国になってしまったのですね。

この事件を契機に中国と日本の関係を本気で見直した方が良いと個人的には思います。

自己責任と言う意見もありますが、あまりに子供がかわいそうです。

 

しかしながら仏教は非情です。

すべて宿業として片付けられてしまいます。

亡くなったお子さんのご家族やご親戚は大きな悲しみに陥っていることでしょう。

やり場のない怒りを抱え喪に服されていることと思います。

母親は自分を責め立てるのかもしれません。

本当に残念でなりません。

それを因果の道理などという言葉で片付けるのはあまりに酷です。

どうしてそんな悲劇に遭わなければならないのか、どうして私の子供が犠牲にならなければならなかったのかなどなどいろんな感情が出てくると思います。

他と比較するのはよくないかもしれませんが池田小学校の事件を思い出します。

日本人の起こした事件ですがかわいい小学生が何人も殺害されました。

犯人は死刑になりましたが裕福な子供を妬ましく思って殺害したようです。

中国の犯人も同じような気持ちだったのかもしれませんが何も発表されていませんので分かりません。

ただ、池田小学校の事件の被害者たちも同じ感情だっただろうと推察します。

そう考えるにつけこの世の中は本当に理不尽です。

 

何もなく平穏に生きられるのはよほど運の良い人たちと思わずにおれません。

まして、仏教に興味を持ち自分の人生について一生懸命考える人たちは本当に希有としか言いようがありません。

仏教では運とは言いませんが、あえて運が良いと言います。

なぜなら過去世のことなど何も分からないからです。

六道輪廻などとても信じられるものではないのですから。

迷いの私を目覚めさせこの五濁悪世を力強く生きる力を与えてくださる仏教に出会わせていただいたのですからこれを運が悪いなどとは言えません。

そう思える自分が有り難いのですが、同じようなことが我が身に起こった場合仏教の教えなど吹っ飛んでしまうかもしれません。

どこどこまでも自分勝手、本願寺では自己中心性と最近は言います。

その私を呼んでいる南無阿弥陀仏はなんと不思議なことか。

死の縁は無量であり、それは今なのです。

今死んでいくとなったとき何が当て力になるのか。

南無阿弥陀仏にお任せする以外なにも手立てはないのです。

 

そうは言っても「あなたは浄土真宗を信じているからそう言うのでしょ」と言われてしまいます。

それでも私は浄土真宗とご縁があってよかったと思っています。

 

亡くなったお子さんのご冥福を祈りご家族の悲しみに哀悼の誠を捧げます。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

註:本来冥福を祈るは死後冥界に落ちているかもしれないためそうでないことを祈る意味があります。

浄土真宗では即得往生であるから冥福を祈ると言わないという人もいます。