宗教組織に対する違和感は、子供の頃から醸成されていました。
私の知り合いは、見事に戦後に出てきた宗教組織にそまった人が何人もいました。
また、映画でも伊丹十三監督による「マルサの女」にえせ宗教団体のパロディみたいなものもありました。
さらにはオウム真理教による地下鉄サリン事件などが有り宗教組織というものは胡散臭いものだという常識が世間に流布されました。
あーいう宗教組織はろくでもないと思っていましたし、家族もそんな発言をしていたように思います。
一方、伝統教団と呼ばれる組織については、全くそんな思いはありませんでした。
何が違うのかというと自由度ではないかと思うのです。くどくど書くつもりはありませんが個人の心情の自由を大いに認めるか認めないかだと思うのです。
そんな中での親鸞会という組織は、微妙な違和感の塊でした。
結果的には前述のオウムのような組織とさほど変わりのない組織だったのですが、伝統教団の名前を語っていたため名前に騙された人も多かったかもしれません。
さて、親鸞会を退会した後は、どの組織にも属さないぞと思われている人もいるでしょう。ところがご法話を聞こうと思うと新たな組織に顔を出すなりしなければなりません。
そこで又組織と関わることとなります。
また、騙されることになるかもしれないという思いは消えません。
しかし、何処まで行っても組織というか人間関係を切り離したものはありません。
でも、個人的な思いかもしれませんが、親鸞会に騙されたのだから次にどんな組織に入ろうとおかしければさっさと辞めてしまえば良いのだと思うようになりました。
それだけ人間が強くなったというか、また、騙されるかもしれないという思いに対してひらきなおることが出来るようになりました。
何が違うのか考えてみますと、これ以上騙されようが無い自分と出会ったことが一番かもしれません。
本当の自分と出会うことの出来る法に出会えば、それ以外の教えでは自分が満足しません。
そうなれば何が起ころうと受け止められることになる訳です。
だまされてもともと、本当だったらもうけもん、結局仏教とは本当の私と出会う教えであり、本当の救いを教えてくれる、そのことを教えてくださるところは本物なのだと思います。
そうすれば宗教に対する違和感は無くなるわけではないにしても、ほとんど関係なくなるのではないでしょうか。
また、ほんまもんの教えはすごいですわ。
「あさ川進」さんのブログに家族とともに親鸞会に参詣されたことが書かれていました。その時、おかあさんの感想がすばらしかったです。
「同じ話をぐるぐるしているだけで、たいした話をしとらん」
たいした話では無かったんですよね。違和感だらけだったのでしょう。
やっぱりほんまもんに出会ってみれば分かります。
その時、宗教に対する違和感は大きく変化することと思います。
やっぱり仏教はすごいです。