人間に何故生まれてきたのか、何故生きねばならないのか、これに明確な答えを出すことができる人はこの世の中に一体どれだけいるのでしょうか。
その答えも皆が平等に納得出来るものがあるのでしょうか。
お釈迦様が存命した当時でさえ、当たり前ですがお釈迦様のみ教えを信じるもの、信じないもの、それ以外のものがいました。
人の目で明らかに分かることは、人が女の人から生まれて老いて死んでいく、それを繰り返している姿だけです。
ではお釈迦様は何を悟られたのかといえば、諸行無常 諸法無我の世界です。
すべては移り変わり一つとして留まることのない、因縁により生まれては消えていくそういう世界であることに目覚められたといわれます。
明かりのない無明から生まれ、そして死んでいくこと繰り返し、果たして永遠の過去から永遠の未来に向かって有るのでもなく無いのでもないそんな世界をさまよい続けているのです。
ですから何が原因で今ここにいるのか、これからどこに向かうのかさっぱりわかりません。
ただ、死んでいくのを怖ろしく思うだけです。
私を明るく導く明かりは無い、そんな世界に生きているのです。
先日知り合いとこんなこと(冒頭部分ですが)を話していたのですが、「そんなことは考えたことがない」と言いました。
それを聞いて改めて私が変わっているのだと思いました。
ほとんどの人は一度限りの人生が終わったらそれでおしまいと思っているのです。
それに一切の疑問もなく年寄れば死んでいく、それまで元気で生きられれば良いと思っているのです。
私の言葉が通じるわけがないと思いました。
まして、お釈迦様のお言葉など「分かるはずがない」と改めて認識しました。
数日前、沖縄で数十人の高校生の乗った船2隻が転覆し船頭一人と女子高校生一人がなくなりました。
船は沖縄辺野古の米軍基地移転反対の活動家の船で何も許可など取っていない、保険も掛けていないいわば個人の船みたいなものでした。
楽しい修学旅行が悲惨な旅になってしまいました。
船は平和教育という名のもと左翼活動家による洗脳教育に利用されていたようです。
左翼活動家の無謀な活動の犠牲になった高校生がかわいそうでなりません。
詳細はおいおい分かってくるでしょうが、2隻の船のうち1隻が横波を受けて転覆し、それを助けようとした2隻目も転覆し、2隻目に乗っていた女子高校生が一人なくなったと記事にありました。
なんと運の悪いことか。
これも宿業のなせる業などと思えず憤りしかありません。
そんなことがこの世の中には山ほどあります。
世界ではいまだに戦争が続いています。
そこでもたくさんの方が亡くなって悲しみん打ちひしがれています。
残念ながら私は世界の多くの人の悲しみよりも身近な一人の死に心が動かされます。
どうしても将来のある一人の女子高生の死に心が惹きつけられてしまいます。
宿業という言葉で片付けるのは簡単ですが女子高校生の親御さんにしてみれば断腸の思いでしょう。
言葉も出ない悲しみに打ちひしがれていると思うとかわいそうでなりません。
お釈迦様のみ教えを聞かせていただいていても煩悩により心に怒りの炎が燃え盛っています。
どうしてこんなことが起きたのか分かるわけがないのですが、しばらくは左翼活動家に対する怒りがくすぶると思います。
私の執着心に思いが引きずられます。
諸行無常 諸法無我
分かる力がありません。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏