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とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

法蔵菩薩

法蔵菩薩の願心によって阿弥陀仏の御本願は成立しています。

法蔵菩薩は、何故、願を起こされたのか。

そもそも法蔵菩薩はいかなる存在なのか。

 

法蔵菩薩は衆生が苦しみを繰り返している姿を見られて、願を起こされたと言われています。

法蔵菩薩は世自在王仏の身元にましまして・・・、と言われています。

定光如来から五十三仏が現れられ、五十四仏目に世自在王仏が現れられました。

そこで法蔵菩薩はご修行をされていたのですが、私を救うために願を起こされたのです。法蔵菩薩や世自在王仏がどの時代、いつにおられたかは分かりません。

お伽噺かもしれませんが、現実にお釈迦様はこの地球に現れました。

そこで様々な法を説かれましたが、凡夫が救われる教えとして浄土三部経を説かれました。まあ、ここで三部経を講釈するつもりはありませんので、法蔵菩薩はおられたのでしょう。

結果として南無阿弥陀仏が成就されています。

お釈迦様も南無阿弥陀仏を自分が作ったとは言われていません。

法蔵菩薩南無阿弥陀仏をなぜ作られたのかと言うと私がいたからです。六道を輪廻転生し続けて、そこから離れることが出来ない、苦しみを何度も何度も永遠に繰り返している、その姿が哀れで哀れで何とか救ってやりたいと思われたのです。

それも自分が苦しんでいるよりも私が苦しんでいるのを見るのがつらいのです。

親が我が子が苦しんでいる姿を見ておれなかったのです。

だからどうしても救ってやりたいと思われ重ねて誓われたのが重誓偈のお言葉となっておられます。そして、一緒に地獄まで落ちていてくれていたのです。

法蔵菩薩は兆載永劫のご修行をされます。ご修行の内容は、大無量寿経に書かれていますので下に参考に示しておきますが、簡単に言えば六波羅蜜を長い長い間行ったと言うことです。そしてその功徳をすべて南無阿弥陀仏に封じ込めたのです。

それをそっくりそのまま私に与えるためにされたことなのです。

なんと有り難いというかお節介というか、そんな方がおられたから今、私がお念仏を唱えさせていただけるのです。

阿弥陀様は私に付いて付いて離れない、常に一緒にいてくださり、私に呼びかけられています。それは法蔵菩薩の願心から起きているのです。

菩薩は如来になる前の姿です。願は成就していますので法蔵菩薩は今は阿弥陀如来です。しかし、私が救われていないとき、私が救われず六道を輪廻転生しているとき、阿弥陀様は私を救わずには仏にならずと誓われ私と一緒に六道を回ってくださいました。それは法蔵菩薩のご修行そのものかもしれません。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 

 

 

無量寿経にある法蔵菩薩のご修行内容

「貪りの心や怒りの心や害を与えようとする心を起こさず、また、そういう想いを持ってさえいなかった。
すべてのものに執着せず、どのようなことにも耐え忍ぶ力をそなえて、数多くの苦をものともせず、欲は少なく足ることを知って、貪り・怒り・愚かさを離れていた。
そしていつも三昧に心を落ちつけて、何ものにもさまたげられない智慧を持ち、偽りの心やこびへつらう心はまったくなかったのである。
表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心を汲み取ってよく受け入れ、雄々しく努め励んで少しもおこたることがなかった。
ひたすら清らかな善いことを求めて、すべての人々に利益を与え、仏・法・僧の三宝を敬い、師や年長のものに仕えたのである。
その功徳と智慧のもとにさまざまな修行をして、すべての人々に功徳を与えたのである。
空・無相・無願の道理をさとり、はからいを持たず、すべては幻のようだと見とおしていた。
また自分を害し、他の人を害し、そしてその両方を害するような悪い言葉を避けて、自分のためになリ、他の人のためになり、そしてその両方のためになる善い言葉を用いた。
国を捨て王位を捨て、財宝や妻子などもすべて捨て去って、すすんで六波羅蜜を修行し、他の人にもこれを修行させた。
このようにしてはかり知れない長い年月の間、功徳を積み重ねたのである。
その間、法蔵菩薩はどこに生れても思いのままであり、はかり知れない宝がおのずからわき出て数限りない人々を教え導き、この上ないさとりの世界に安住させた。
あるときは富豪となり在家信者となり、またバラモンとなり大臣となり、あるときは国王や転輪聖王となり、あるときは六欲天梵天などの王となリ、常に衣食住の品々や薬などですべての仏を供養し、あつく敬った。それらの功徳は、とても説き尽すことができないほどである。
その口は青い蓮の花のように清らかな香りを出し、全身の毛穴からは栴檀の香りを放ち、その香りは数限りない世界に広がり、お姿は気高く、表情はうるわしい。
またその手から、いつも、尽きることのない宝・衣服・飲みものや食べもの・美しく香り高い花・天蓋・幡などの飾りの品々を出した。
これらのことは、さまざまな天人にはるかにすぐれていて、すべてを思いのままに行えたのである 」