とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

勉強会のご案内

皆様へ、とくよしみねからのお知らせです。

今回は山も山さん(宮田さん)の勉強会を開催します。

演題は「正信偈」についてです。

 場所はいつもの愛知県です。
 日にちは 8月 20 日 ( 日 ) です。
 時間は 午前10時30分から午後5時までの予定です。
 ご縁があれば是非ご参加ください。

 詳細についてお知りになりたい方は、aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jpにメールしてください。
( アットマーク ) は” @ ”に変更してください。
 折り返しお知らせいたします。
 私にメールをくださる場合、少しプロフィールも書いていただけると有り難いです。
 個人情報を漏らすようなことはいたしません。

よろしくお願いします。

 

まかせるとは

阿弥陀様におまかせと言われてもどうしたらよいかさっぱり分かりません。

かといって自力かなわで流転せりとなるのも嫌です。

でも、やっぱり分からない、どうしたら・・・、このどうしたらが何ともなりません。

 

ひとつの譬えです。

あくまで譬えなので100%ではありませんが、譬えの奥を考えてもらいたいです。

まかせるとは、たとえば以下のようなものです。

 

船で航海中に海に投げ出されて始めて泳いだ人がどうしていいか分からずに海の中でもがき続けています。

時間が来れば間違いなくおぼれて死んでしまいます。

ところがどこからか「身体の力を抜け」と何度も声がかかります。

誰かは分かりませんが、何度も何度も声がかかります。

それでも「おぼれてしまう、沈んでしまう、嫌だ、嫌だ」ともがき、さらに苦しくなってきます。.

「死んじゃう、死んじゃう、嫌だ、嫌だ。」

それでもどこからか「力を抜け、海に身をまかせよ」と何度も何度も声がかかります。

「海に身をまかせたら沈んでしまう、嫌だ、嫌だ、嫌だ~!!」

それでもどこからか「まかせよ、まかせよ、間違いないからまかせよ」と声が届きます。

「もう、駄目だ、もう、駄目だ、もう、死んじゃう」

 

そして、なぜかしらふっと身をまかせたら、最初は沈んでいきますが、後でぽっかり浮かんで自分の目の前に青空が広がっています。

沈むそのままが、浮かぶのです。

沈むは自性、ところが沈ませてなるものかと海が貴方を支えているのです。

 

何を例えているのか分かると思います。

南無阿弥陀仏はそのまま来いなのです。落ちるそのまま来いなのです。

信心決定など出来る出来ないは問題ではない。

阿弥陀様の思いを、呼び声を聞くか聞かないかの方が問題です。

阿弥陀様の思いは、呼び声は、「お前は落ちる奴だぞ、だからまかせよ、心配するな」と南無阿弥陀仏になって叫び通しなのです。

南無阿弥陀仏が呼び声なのです。

それをそっくりそのまま聞くことが一番大事なのです。

 

まかせる、そのまま、落ちるそのままです。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

野際陽子さん

皆さんご存じの野際陽子さんが亡くなりました。

私は「キイハンター」というテレビドラマで最初に見たのですが、これを書くと歳が分かってしまいます。

とてもきれいで才色兼備の人でした。

当時人気の千葉真一さんと結婚され、頭脳と体力の結婚みたいに言われていました。

それも長く続かず離婚されています。

ちょっと前では、「ずっと貴方が好きだった」の冬彦さんのお母さん役をやっておられました。最近では「トリック」の仲間由紀恵さんのお母さん役ですね。

いずれにしても最後まで立派な女優さんでしたね。

有名人が亡くなるとその死を悼み、惜別の念を思い起こします。

そして追悼番組などがされ、故人を偲びますが暫くすると忘れて日々の生活に埋没していきます。

そういう一日を積み重ねていくことに本当の意味があるのかと考える暇もなく生活に追われる毎日です。

有名人の死は、その一瞬でも生老病死を思います。のんきにテレビを見ながらご飯をぱくぱく食べて、それらのニュースを見ています。

それがずうっと続くと思い込んでいます。

そんな生活をしている私にいつ悟りを開く修行が出来るのか。

出来るわけはないですね。

まして、南無阿弥陀仏のお心と言われても「あ~、そうですね」くらいにしか思っていません。

それよりも自分の煩悩を喜ばせることに一生懸命です。

だから私の回りに何度も何度も死の便りが届くのでしょう。そして南無阿弥陀仏が響き渡っているのでしょう。

お前の後生は大丈夫か?と問われ続けているのでしょう。

そして今、頭の中に響き渡っている御念仏を聞かずして一体何を聞くと言うのか。

 

・・・・訳が分かろうが分かるまいが、お前を必ず助ける証拠が南無阿弥陀仏だ、称えておくれ、そのまま、落ちるそのまま来い・・・・

 

阿弥陀様がおられなかったら大変な事です。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

 

 

阿難陀

阿難陀尊者は、お釈迦様のお父様、浄飯王の弟で甘露飯王の子供だそうです。

お釈迦様にとっては従兄弟に当たるわけですが、歳はかなり離れていました。

お釈迦様が出家されたあたりに生まれられたと言われていますので、35歳くらいの差になります。

また、55歳まで侍者であったと言われていますので、20歳代の時から25年間お釈迦様が亡くなるまで従われたことになります。

 

実はお釈迦様の侍者は阿難陀以外にもおられたのですが、どうもイマイチで何人か交代になられているようです。

その中の一人はお釈迦様の荷物を盗まれたり、盗賊に頭を張り倒されたりした者がいたようで、お弟子達がこれでは大変ということで阿難陀を説得したそうです。

 

しかし、阿難陀は何度も断って最後には、条件を付けて侍者になられたそうです。

その条件とは、

1 釈尊の新着の衣服または食べ物は頂かないこと。

2 釈尊が在家に請待されるときは必ずしも御随い申さないこと。

3 いつでも釈尊に見えてお給侍が出来ること。

だそうです。

 

よく理解できないことがあります。

1番と2番はなんとなく理解できるのですが、3番が私にはよく分かりません。

そこまで阿難陀はお釈迦様のおそばに本当はいたかったのか・・・?

もし分かる方がおられるなら教えていただきたいと思います。

また、この時27歳くらいと言う説もあります。

 

阿難陀の女難については、いろいろありますが個人的に一番印象に残っているのは比丘尼が阿難陀に恋をし、自分が病気であるから見舞いに来て欲しいと家に呼んで、阿難陀が来たときはあられもない姿で阿難陀を迎えたことです。

私なら・・・・してしまいますが、さすが阿難陀です。

また、阿難陀がどれだけの美男子だったかこれだけでも想像出来ます。

 

そして、阿難陀は比丘尼に言います。

「妹よ、穢れた食べ物で身を養ってはならない。

驕慢の心をもって心を養ってはならない。

淫欲をもって心を養ってはならない。

・・・・」

他にも沢山書かれていますが、自分ではとても想像出来ない差があります。

 

また、阿難陀の身体にできものが出来たとき、阿難陀が聞法中にできものを取り去ったということがありました。後で阿難陀はその事を言われても気がつかなかったそうです。聞法とはそういう気持ちで聞かせてもらうものだと書かれています。

 

その後、25年にわたってお釈迦様に随われますが、阿羅漢の悟りがどうしても開くことが出来ません。

お釈迦様が亡くなられる直前、暫くしたら悟りを開くであろうと予言されています。

しかし、お釈迦様が亡くなられても阿難陀は悟りが開かれません。そして、お釈迦様が亡くなられて悲嘆に暮れます。

 

しばらくして、安居の時期に金剛子と一緒に群衆に説法しているとき、金剛子は阿羅漢の悟りを開いていない阿難陀が説法しているのは問題だと思われそのことを阿難陀に伝えたのでした。

阿難は言葉を覚えていてもそのお心の深いところが分かっていないのではないかと金剛子は思われたのでしょう。

阿難陀はそれから悶々とします。

 

それから第一結集の時が来ますが、まだ阿羅漢の悟りが開けません。

そして、極めつけは迦葉尊者から結集には阿難陀は出席できないと告げられます。

迦葉尊者は、お釈迦様のお言葉を後世に伝えるこの大事な時に阿羅漢の悟りを開いていない者の意見を入れるわけにはいかなかったのです。

 

苦しむ阿難陀。

お釈迦様のご説法が頭を駆け巡ります。

 

この時、阿難陀は外に向いていた自分の目が、内側に向いたと書かれています。

そして夜を徹して我が心と対峙されます。

翌朝、阿難陀は晴れて阿羅漢の悟りをいただき、結集に間に合います。

その時の阿難陀は雲間から朝日が差すように晴れ晴れしていたと書かれています。

 

こののち20数年後、阿難陀は説法をし続け、最後は争う国に流れる河の真ん中で涅槃に入られます。

それぞれの国の王が阿難陀を尊敬していたのです。

どちらにつくこともなく釈尊と同じ中道を行かれたのかなと勝手に思っています。

 

知れば知るほど、すごい人だったんだと思います。

戒律も守りお釈迦様の侍者を25年にわたり仕えられ、超人的な神通力や記憶力によって多くの人々を導き、今なお阿難陀の存在を輝かせているこの事実は、間違いなく菩薩様であり、また、仏様の生まれ変わりでありましょう。

 

この話をどこまで信じられるかはその人その人のご縁です。

アホかと思われる方もおられるでしょう。

実際、お釈迦様の時代でもお釈迦様を慕った人が1/3、反発した人が1/3、全く縁の無かった人が1/3と言われています。

 

自惚れかもしれませんが、今、このブログを読まれている方達はお釈迦様の時代、直接ご説法を聞かれたご縁のあった方たちかもしれません。

 

有り難い事です。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

出典:仏弟子

 

宿善とは

高森顕徹会の方は、宿善になるからと言われて必死に財施と会員勧誘を頑張った方は多いと思います。

確かに人を仏教の教えに導くことは大変尊い事だと思います。

しかし、その方法については色々なご意見があると思います。

また、導く先が間違っていては何にもなりません。

今思い返してみて個人的に思うのは、比叡山阿闍梨酒井雄哉師です。

とても尊敬できます。

書かれた著書の題名を見ただけでも「違うな~」と思います。

 

「がんばらなくていいんだよ」、「ムダなことなどひとつもない」、「一日一生」、「今できることをやればいい」、「そのままの自分を出せばいい」など。

 

ただ、ご縁がなかったことが今の私には良かったと思います。

もし、ご縁がが強かったら大変です。

同じように比叡山で修行していたかもしれません。

これを宿縁と言います。

 

親鸞聖人は今、浄土真宗浄土教の教えに出会って南無阿弥陀仏とのご縁のある人は「遠く宿縁を慶べ」と言われました。

 

では、高森顕徹会では宿善をどう解釈していたのか。

「宿善は宿世の善根ということで、過去に行った善行の事です。ですから今生でも信心決定の為に宿善になることを行いましょう。」

財施は宿善になります、法施も同じです。聴聞破邪顕正は宿善になります。」

「宿善が開発したら信心決定します。ちょうどどんぶりに水を入れてあふれたときが宿善開発です。そこまで宿善を積みましょう。」

以上のように教えられてきました。

 

ところが実際の宿善とは、簡単に書きますと以下の事です。

「過去世においての阿弥陀仏とのご縁のこと。」

ということは、今生に於いて何が出来るのか。

もちろん、財施も法施も大事ですが、それが宿善になる訳ではありません。

また、財施や法施も誰に出すかが一番問題です。

生かすも殺すも相手次第です。

福田に財施や法施をせよと高森顕徹会で言われていましたが、これも実際には下記に書いた内容ですので高森顕徹会の教えとは異なります。

たとえば敬田を仏様と言っていますが、実際には仏法僧です。

やはり、正しい浄土真宗を教えて頂くところが一番ですね。

 

そして、今、南無阿弥陀仏とご縁のある方、浄土真宗のご法話を聞かれている方、もっと言えば高森顕徹会の会員は皆、宿善のある方です。

ですから今生でもっと宿善を積まなければならないとか、自分は宿善が薄いとか思う必要は一切ありません。

 

繰り返しになりますが、宿善とは「過去世においての阿弥陀仏とのご縁のこと。」であり、現在、阿弥陀様とご縁のある方は皆宿善のある方です。

 

後は、南無阿弥陀仏に任せるのかどうかだけです。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

宿善の「宿」は本来「自覚以前」という意味です。つまり「気がつく前」ということで、弥陀のご本願は私が気がつく前にすでに起こされていたのであります。気がついた時はすでに手遅れなのであります。

その意味からすれば、気がついた時は、たとえ私が今までに行ったとしても、私のものではなかったのであります。また「宿」の中にはただ今までの過去のすべてが入り、善とは法性にかなう浄業のことであります。

そうした浄業は如来のなさしめ給うはたらきのほかにはないわけであります。だから宿善とはどこまでも、信の上の反省と言わねばなりません。

信を通さないと宿善は出てきません。

そこには永い間、聞かせていただきながらはねつけていた私が出てまいります。お与えものをはばんでいました。邪魔をしていました。深い恵みが与えられていました。如来から計らわれていた私であります。

自分のすべてが如来のはたらきかけの中にいたのであります。たとえ無駄をしたようでも、無駄ではなかったのであります。ともかく、現在の信の反省において、如来の計らいであったといただくのが、遇い難くして今遇うことのできたこの身いっぱいの喜びであります。

今素直に掌を合わさせていただく幸せであります。

要するに、宿世の善根というほどの善は私には有ることが無いわけで、宿善は如来から私たちへのはたらきかけの善ということになります。

わが後生の問題に大事にかかってきたのがすでに宿善到来したしるしであります。

 

親鸞の世界 -信の領解-」(加茂仰順師)

 

  • 敬田 ‐ 仏法僧
  • 恩田 ‐ 父母祖先など、恩に報いるべきもの
  • 悲田 ‐ 貧者や病人など哀れむべきもの

 

脱北者

最近、高森顕徹会を退会された方達に会う機会がありました。

私は知らなかった方達でしたが、どこかで何度も見かけていたかもしれません。

私も退会した当初、おっかなびっくりでどこのご法話を聞きに言っても「もう、騙されないぞ」と警戒ばかりしていました。

未だに高森顕徹会にいた当時のことを思い出しては、パニックまではなりませんが、なんとも言えない気持ちになります。

怒りというか、後悔というか、そんな感情が渦巻きます。それでもそこで過ごした時間は紛れもなく私の人生の一部なのです。

浄土真宗というものを知ったのも会に入ったからで間違いありません。

そのことは否定できるものではありませんが、自慢できるかというとちょっと世間様に大手を振って言えるものでもありません。

退会者は、ちょうど北朝鮮から帰ってきた人たちとよく似ているのかもしれません。

 

将軍様は絶対で逆らうなんてあり得ない。

まして、裏切るなんて死刑になっても不思議ではない。

これを会に当てはめれば、

会長先生に逆らうなんて絶対あり得ない。

会長先生を裏切ったらもう今生で救われる術はなくなり、地獄一定である。

 

ところが何かのきっかけで真実を知らされ、我が身のしてきたことに愕然とします。騙されていた、なんと言うことか、自分を責めてしまうこともあるでしょう。

それでも後生の解決、何とかしたいと会を退会しても幸せを探し回る姿は、脱北者に似ていると思います。

 

本来、宗教は自由であるはずで、己の技量に合わせた求め方があるはずなのです。お釈迦様は対機説法をされています。当たり前ですが、修行の出来ない人に修行をせよというのは単なるいじめであり、そんな宗教家はインチキとしか言いようがありません。

 

お金をお布施してくださいと言われても人それぞれの財産状態があります。それを無視して一人幾ら以上お願いしますなどと言われたとたん、ちょっと引いてしまいます。

ましてや相続で財産が入ったんだから沢山お布施しなさいなどと言われた人がいましたが、無茶苦茶です。

それでも宿善になるならと、宿善の本当の意味も分からずとにかく布施は良いことだと言われその通りにお金を出す、教えを利用してお金をむしり取るのは詐欺に近いでしょう。

いや、少なくとも真実をしっかり説かれるならまだしも、将軍様は世間の白を黒と言っているが世間が間違いで白は黒なんだと、浄土真宗の教えも適当に自分の都合の良いようにねじ曲げて会員に伝えているのです。真実は高森会長しか説く人はいないとマインドコントロールされているのですから、やはり北朝鮮と同じでしょうね。

 

人のことばかり言ってますが私も脱北組ですので同じなんですけどね。

その上で、高森顕徹会から本願寺などの教えに握り替えるだけでなく、どんな教えなのか、阿弥陀様の御本願はどういうものなのか、仏願の「生起」は高森顕徹会で嫌というほど聞かれたはずですので、「本末」の方をしっかり聞かせて頂きたいものです。

 

現在、ただ今、落ちるそのまま、阿弥陀様は待って、待って、待ち続けています。

まだか、まだか、早く来い、早く来い、どうかお願いだから、迷いの世界を出てこい、間違いはない、必ず助ける、欲と怒りの心で苦しみの世界に落ちるのは自性、それをそっくりそのまま救ってやるから、早く来い、早く来い、そのまま来い、・・・・。

御念仏は証拠だ、南無阿弥陀仏が信心だ、南無阿弥陀仏を称えよ、必ず救う。

血の涙を流されているのは阿弥陀様、こちらはボンクラです。

それでもこのボンクラが大好きだと言われるのです。申し訳ありませんね。

 

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

行信教校

「学仏大悲心」

行信教校の一枚看板です。

・・・仏様の大悲のお心を学ぶ・・・

賢い坊さんで無く、有り難い坊さんを育てる所と言われています。

大阪の高槻市にある真宗僧侶の為の学校ですが、私にとっては梯実圓師の出身校として畏れ多いところと思っています。

数年前、私のたまたま知り合った人がそこに入学しました。

最初は信心を獲られず悩んでいましたが、最後は南無阿弥陀仏しか無いと言われ自信を持って行信教校に行かれました。

まだ若い方だったので、これから梯先生みたいな人になって欲しいと願っていました。

今は全くどうなっているのか分かりませんが、きっとすばらしいお坊さんになっていると思います。

そして、行信教校そこは間違いなく行と信を学ぶところなのでしょう。

南無阿弥陀仏の教えを徹底させて頂ける場所としては、個人的には最高の場所ではないかと思います。

 

行信教校の行信は奥深い名前だなと思います。

行は当然「南無阿弥陀仏」のことです。

阿弥陀経を始め、善導大師の六字釈、法然上人の念仏為本および親鸞聖人の信心正因称名報恩など行についていろいろな解説がなされています。

行には称名と名号の二つの解釈がありますが、とりあえず南無阿弥陀仏と称えることが行とします。

また、行は大行とも言われ、最高の善でありこれ以上の行は無いと言われます。

一声称えるごとに罪が消えていくとも書かれています。

 

信は「南無阿弥陀仏のお心」と言うことになります。

阿弥陀様のお心とは、仏願の生起本末ですから南無阿弥陀仏のおいわれであり、第18願を中心としたお心と言うことになります。

さらに信は行と一体ですので信を離れた行も無く、行の離れた信もありません。

ですから信は「南無阿弥陀仏」そのものと言うことになります。

 

余談ですが、信心には空華派と石泉派がありますが、最近はごちゃ混ぜになっているようだと聞きました。

本願寺派はどちらかというと空華派が主流であると言われています。

行信教校は空華の流れをくんでいます。

三業惑乱で有名な安芸の大瀛は石泉派です。

空華派は絶対他力を基本として我が身は凡夫であると言われます。

石泉派は、称名に重きを置き、ご信心を頂けば心は清浄になると言っています。

実際はもっと複雑ですが、この違いが正直言うとよく分からないな~と言うところで、あまり首を突っ込まないようにしています。よく分かる方がいらっしゃったら解説お願いします。

いずれにしても信心を頂いたか頂かないかは自分と阿弥陀様の関係であり、それが三業にどう現れようが人それぞれかなと思います。

 

ついでに、三業惑乱にしても三業帰命説がすべてでは無く、そういう人もいるかもと言っていれば何の問題も無かったのですが、功存上人の願生帰命弁の一部を智洞がさらに本山中心に進めた結果混乱を極めたと書かれています。願生帰命弁はもともと無帰命安心を批判したものでしたので、それを利用して自分の勢力拡大をしたのかなとも思いますが今となっては何がなにやらさっぱりです。

三業惑乱を通して個人的に思うのは、三業帰命説的なのが高森顕徹会長の主張する信心(信ずる心一つと言いながらハッキリした体験が必要と強調する)であり、それは一念覚知の異安心的ではあるものの、それをすべて否定するのは本願ぼこり的でありどちらも違うなと感じます。(参考1)

 また、宗教的体験は人それぞれにあり、それが上記のような考えに当てはまる場合もあるでしょう。そうすると右だ左だという議論になっていくのでしょうか。

その議論に答えを出すのが行信教校のような所ではないかと思っています。

まあ、議論されるのはどっちでもいいんですけど、現在、ただ今、落ちるそのままのお救い、南無阿弥陀仏阿弥陀様の呼び声は変わりませんので私はそれで良いかなと思っています。

後は面々の御計らいです。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

参考1

「覚もよし、覚えぬもよし、共に仏智に信順するを以て、当流安心の正義とす」と本山の解釈もあります。(鮮妙師:意業非意業之論)

大瀛師・道隠師の所論には信一念は非意業(離三業)であるとの主張がみられ、以後は大体これに倣って、信一念は非意業で不覚であるとの説がなされている。(紅楳英顕師)