とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

松並松五郎師

松並松五郎さんという妙好人がいらっしゃいます。
有名な方なのでご存じな方もいらっしゃるでしょう。


まずは略歴です。
1.明治42年、大和 高市郡 飛弾(奈良県橿原市)に生まれる。
父、増蔵、母、みつゑ。3、4歳の時、常に母に抱かれて就床。
その子守歌を聞いて眠る。
母の歌声が、氏の生涯に大影響を与える。
母は、懐妊の時から念仏を喜ぶ身になったとか。

2.13歳、3月方向10日の「日めくり」の「忠孝は人の行く道、守る道」を見て大いに驚き、親孝行を決心。

3.15歳、2ケ年間親孝行を努めたが、思うように出来ず。
思案した結果、まず親の仰せを、そのままハイと聞くことを習う。
最初は、内心で反対の時もあったが、その心を押し切って進む。
と、次第に親の命令を、そのままハイと受けられるようになる。

4.17歳の正月1日、大阪へ奉公に出る。
母より、「主人の命に服し、よく働くように」と言われる。
朝は5時起床、夜は11時まで一心不乱に働き、奥さんの腰巻までも洗う。

5.18歳、得意先の人が「何故そんなに働くか」と問う。
「母の言いつけゆえ、親孝行のために、母の命に従うのみ」と答える。
客は、「親孝行がしたくば、寺まいりせよ。」と。
早速、その夜、近所の説教所へ参詣。
しかし何のことやらわからぬまま、親孝行と思い、説教参りを続ける。

6.18歳の5月、大阪南御坊にて、江州の説教師、護知寿師より、宗祖のお言葉「弥陀の本願ともうすは、名号を称えんものをば、極楽へ迎えんと誓わせたまいたるを、深く信じて称うるがめでたきことにて候なり」(末灯鈔)を聞いて感激。
それより、念仏相続に入る。
朝は3時起床、夜は11時まで仕事しながら念仏相続に専念。
いろいろの疑問が出ても、人には質問をせず、それを心に持ったまま念仏していると、いつか必ず解決すと。

7.29歳、昭和12年1月16日夜、叡山に登り、黒谷の経堂に入って、ただ一人徹夜念仏す。
その夜、不思議の感得を受けて純粋他力念仏に入る。

8.33歳、昭和16年、皮革統制会社に働く。

9.同年7月31日召集。満州、南方ニューギニア方面に転戦。

10.昭和19年6月帰還。
以来、故郷飛弾に住して念仏三眛。

11.平成9(1997)年12月26日88歳にて往生。

松五郎さんと接して、信仰上の大転換をした人が数多くいます。
三重県四日市市中浜田町の「東漸寺」の東見敬住職 もその一人です。
昭和二十四年、松五郎さんから、ある和上 さんの詩の一節を聞かされて、「でんぐり返る思いをした」と 語っています。
その詩とは、「我れ称(とな)え我れ聞くなれどこれは これ大慈招喚(だいひしょうかん)の声なり」というものです。

それでは、
『松並松五郎念仏語録』 真宗大谷派 念仏寺 土井紀明師編纂
から私が気に入っている所をご紹介します。

○東漸寺様にお尋ね致しました。
「御院住様、律宗という宗派がありますか」と。
「あります」「何でそんな事を聞く」と二三日前に夢を見ました。
女の方が夢に出て来て、亡くなった兄と私、しきりに念仏する姿を見て、兄に向かい〈あなたはどんな思いで念仏するか〉と。
兄が〈弟が念仏せよと言うから念仏するのみ〉と。
女曰く〈それやから真宗はいかん〉と。
それを聞いて私はその女を思いきり殴り倒す。
しばらくして女を抱き起こし〈あなたが私にまちがっていると言うのなら、私は頭を下げてお聞かせ下さいと頼みますが、真宗は間違っていると言われたから失礼致しました。
真宗と申されたら宗祖様中祖様をも間違っていなさる事になる。
どこが間違っているかをお知らせ願います〉と頼みましたから〈声に出すからいかぬ〉と。
私〈それだけ聞かせて頂きましたら結構です。有り難うございます〉とお礼申しました。
〈それではあなたは何宗ですか〉と聞けば〈律宗〉と申された」。  
声に出さずとも呼べる、手招きでも相手を呼べる。
念仏とは仏様が私を念じて下さっていることを念仏と言う。
然し大勢なれば、手招きでは誰を呼んでいるやら判らない。
その時はどうしても声に出さねばならぬ。
仏様は十方衆生を呼んでござる。
だから声に出すとは、即ち私の口を通して南無阿弥陀仏と呼んで頂く事は、「松五郎よ迎えに来たぞ」と名を出して呼んでもらっている事なり。
手招きでは十方衆生の誰やら判らぬ。

・・・聞くだけでなく声に出て私の耳に聞こえる南無阿弥陀仏真宗なのです・・・

○明けて二十九才、一月十五日本山へ参詣致しました。
御七夜のこと故、日本中の信者様のお念仏の声が、ひびき渡っていると参詣致しましたが、何の何のこれではと、旅館の一室で徹夜念仏。 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  
翌日十六日、宗祖様は二十年の修業の結果、六角堂へ祈願なされたあかつき、法然上人様の御教化により、念仏門に入られた。
その法然上人様は黒谷の経堂にて、善導大師様の「一心専念弥陀名号」の御文に依って念仏門に入らせられた。日本で念仏の根本は黒谷である。
黒谷である。
黒谷で念仏申したら、歓喜の心も湧き、また感謝ざんげの心も、亦静かに、心も静かにお念仏も出ると思い、黒谷の経堂にて一夜明さんものと参詣致しました。  

雪は一尺余り、参詣の人影もなく、駅員さんが、こんな雪ではとても黒谷までは行けませんから、雪が消えてからにしなさいと親切に言うて下さいましたが、死んでもよしと心に定めて、有り難うございますと下駄ばきで、道も分からず南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
足にまかせて歩き歩き南無阿弥陀仏、行く道すがらお寺も有りましたが足が止まりません。
歩き歩きどこをどうして行ったやら、ただ歩きました。足の止まった処に、一寺あり、尋ねましたら、そこが黒谷でした。  

堂守様に御願いして、一夜のお念仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
午後三時頃でした。
経堂に入り念仏致しました。
夜十時頃までは、元気にお相続がつづきましたが、寒くなり、着物のすそ、足袋が雪にぬれて、足が冷えて、板の間で、線香一本寒いのではなく体が痛い。
えらくて苦しい。
いや気が出る。
何ともたとえ様のない心になりました。
十二時頃より体が「ノコギリ」でけずられる思い。
あああ、ここで念仏申せば心静かに念仏出来る。
喜び喜び御恩のほども少しは偲ばれ、ざんげの心も、感謝の思いも湧くと思って来ましたが、全くあてちがい。  
歓喜どころか、ざんげどころか、妄念煩悩が出るわ出るわ、廻りどうろうの様に、私の身のまわりをぐるぐる廻り歩き、経堂全部が煩悩で、妄念で、だんだん出る。
首から下は妄念・煩悩で、有るだけ出てしまって、頭も空っぽ、何にもない。
妄念が出れば出るほど自然に、お念仏の声が高くなり、だんだん高くなる。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と出る出る。
寒さも忘れて、出る出る。妄念煩悩も流れ出る。
「横川法語」に、妄念の中より申しい出したる念仏は、にごりにしまぬ蓮の如くにて」と。
妄念の中より、出る念仏なるに、にごりに染まぬ、清浄むく、それが見える見える。
空っぽの中から出る妄念。
空っぽの中から出る念仏。
出る出る、流れる流れる。
頭、胸、腹の中は何もない。
亦寒さが身にしむ。
いやでいやで、そこに座していられないほど、居苦しくて、それでも念仏はますます出る。
ここで念仏申せば、心静かに喜び喜び出る、ざんげしながら出る、宗祖の御恩のほども偲ばれると思って来ましたが、うそうそざんげの「ざ」もない、歓喜の「か」もない、御恩の「ご」もない。
全く無い。  
宗祖様は「真月を観ずと思えども、妄雲なおおおう」とは細々ながら身に徹しました。
南無阿弥陀仏うれしいありがたいは、あたたかい部屋に居る時の事。
火のない部屋で身も冷え、心も冷えきった時は「この法に遇わねば、こんな事せずとも、温かい部屋で寝て居られるのになー」と、ほんとうに思いました。
無慚無愧、逆謗の死がいとは私一人のことと心の底から身にしみ渡り、板の間で「くも」の如く、おのずから頭が下がり、我忘れて出る南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
その時いなずまの如くひらめいた。
「本願の念仏には一人立ちさせて助けさせぬなり」 とひびいた。
はっと思った。
その時は、念仏申して居るとも判らぬ。 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏    
世の方々は寒さにあえば「宗祖様の御流罪の御苦労を偲ぶ」と申されますが、極度の寒さに会うた時はとてもとてもそんな心は、私には出ませんでした。
この遭い難き御法にあわせて頂いた事さえ、よろこばなんだ私でした。
その時、 「歓喜も約束でないぞや、懺悔も約束でないぞや、たとえ一声も南無阿弥陀仏と称うる者かならず間違わさんは弥陀の誓いであるぞや」 との御知らせを受けました。
私は喜び心がないので、ざんげ感謝の心がないので、経堂へ参詣致しました。
それを聞かせて頂いて、寒さも苦しさも総てを忘れて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  

また苦しさが追って来た。
その苦しさを乗り越えると、やや楽にお念仏が続いた。
百雷が一度に聞えたかの様に感じたとき、 「それそれ声が弥陀じゃぞや、弥陀が声と成ってお前を迎えに来た。あいに来た。
連れに来た。
弥陀直々の迎えでも物足らぬかや」 そのひびきを聞いて、天に躍って喜ばん、地に伏して喜ばん、この度弥陀の御誓に遇えることを 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  
ややすると亦 「かような事があったで往生ではないぞや、往生は誓願の不思議、願力の不思議、弥陀の計らいであるぞや」 と。最早言葉もなく、強盛に念仏聞きつつ朝八時頃下山致しました。 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   

これまでの十余年の念仏は、自分自身、決して自分が称えているとは思って居なかった。
今にして思えば称える念仏で、如来様から称えさされていたのであったのに気が付かなかった。
自分が称える念仏であった。
永年の間称える事にこだわっていた。
称えねばならぬ、念仏せねばならぬと、常に重荷を心に、仏をおんぶして居た。
今は呼んでくださる(回向)仏の声であった。
その後の念仏は、呼んでくださる声を聞きながら、ひたむきに仕事に精が出ました。
私により添い給うひびきでありました。
今いま聞えて下さいます。 
南無阿弥陀仏  

・・・南無阿弥陀仏は、そのまま説法なんです・・・

○見るに見かねて ここえ来て  そだてみちびく姿こそ  口に聞こえる 南無阿弥陀仏    
ニューギニヤ戦線にて隊長の命によりマラリヤ患者の付き添いに病院へ行った。
病院とは言葉だけで、ヤシの葉を屋根に竹の柱、床はヤシの葉のシンを並べて、ソロバンの様に痛い。
衛生兵は五十人に一人、とても忙しいので中隊から付き添いを出す様になった。
それも下士官以上の事。
曹長が入院、付き添いにと命令。
病院はマラリヤの製造場で、蚊にさされるとマラリヤになる。
一ヶ月で退院された。
隊長に報告に出た。
「休めよ」と言われたとて私の仕事が一ヶ月分溜まっている。
働く働く。
亦軍曹が病気になり、命により付き添いに一ヶ月、治ったのでまた報告。
「二度まで御苦労休めよ」。
また仕事が溜まっている
三度目に新兵が入院、また付き添い。
隊長は「三度までも済まぬが、一人助ける為に付き添いまで死なせてはと思って命令した。
お前は死なぬと思ったから。
こんどはお前が病に倒れる其の時は報告にくるに及ばぬ。
そのまま入院してくれよ」と。
「ハイ 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」。
この新兵は死ぬと感じた。
新兵は「古年兵殿私はこんな処で死なぬ。
死ねぬ。
内地へ帰って坊やの顔見るまでは絶対死なぬ」と。
親心である。
然しその心が、死を招く。
生は望む処、されど病人なるが故に病人に成りきればよいのに、成りきるとは病気に勝つことでなく負ける事である。
心に無理がある。
第一仏縁に遠い。
気分のよい時は元気があってよい様に見えるが、一寸熱でも出ると自分で自分を倒す。
思った通り一寸の熱で自分から「アカン」と言うて世を去った。
南無阿弥陀仏 

隊長に報告「再三ご苦労であった体をいとえよ」。
「ハイ」。
数日後に熱が出た。
四十度の事、一週間熱が下がらねば入院となった。
下がらない。
報告に出た。
「松並松五郎本日付きを以て入院致します。
自分の不注意から病に倒れ申し様もありません。
一日も早く全快して元気で中隊に帰ってきます。
報告終わり」。
隊長は南無阿弥陀仏と笑いながら「いらざることよ。
まわれ右と言われたらまわれ右をすればよい」と、隊長一本参りました南無阿弥陀仏、とお互いに笑いながら、第百十一野戦病院え入院した。
何隊の何兵、何病棟とすぐ分かる。
善きことも悪いことも自分のこと、自分が行うて居る。
三人の付き添いで衛生兵とよく顔見知りで、次から次ぎえよくして頂きました。
体熱四十一度、気温は百度、三度の食事は、ドラム管でたくオカユ。
はんごうの中皿に顔が写る。
油くさくて三日たべずに居ましたが、空腹で四日目からすする様になりました。
空襲日は日に二回で、壕に入らねば戦死にならぬ。
蚊にくわれると熱が高まるので袖の長い下着上下、毛布、頭だけの蚊帳。
水はなく、体熱四十度七十日続きました。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
体質により、三十八度一週間続くと口の中にウジが発生して頭の毛が一本もない兵も居ました。
幸いに私、毛が一本もウジ虫もなく、口がかわくので、ヤシの実が落ちる、それを拾って呑む。
日に三個以上呑めば、チブスになるので呑めないが、辛抱が出来ない。
私は幸い便秘が遠かったので何とも有りませんでした。
四個は呑みました。
洗い物もいつに一度やら、壕に出たり入ったり体が苦しい。
ある日大空襲あり、二里四方に百五十機、低空なれば話し声も爆音で聞こえない。
壕の中で病兵五十人南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称える声に、三千世界にひびき渡った南無阿弥陀仏
別に死は恐ろしい感じもなかったが、豆粒ほどに聞こえてくる爆音が、妙に私にひびく、胸に鋭くこたえるので、ハハーこの飛行機にやられるなーと直感した。
それまでは、死ぬとも、生きるとも思った事は一度もなかった。
ただ命令のままに動いていた。
軍隊は仏法そのままでしたので何事も念仏の助行でした。
いよいよこれがこの世の最後と決めた時、瞬間全身ことに胸と腹が鏡の如くガラスの様にすき通って見える。
死が恐ろしいとも、お慈悲が有り難いとも、故郷の親も、妻も、兄妹がなつかしいとも、何とも思わなかった。
ただ今ここに三十円の金がある。
この金一体どうすればよかろうと思った、妙なものですなー。
別にお金に執着がある訳でもないのに、国家から預かったお金を葬ることが気がかりであった。
かくして二三分の時刻がすぎた。
その時声ありて「お前はここで死なさん。帰す。帰ったなら一週間山で念仏せよ」と、この声を聞いて、無事帰国することを知った。
それまでは、死ぬとも、帰るとも思ったことは一度もなかった。
仰せのまま動いていた。
その爆音がだんだん大きくなり、敵機はいよいよ迫って来た。
爆風に備えて両目と両耳、手で押さえ口を開いてナアーナアー念仏聞いていたら、体が急にボーとなってエレベーターの上がる様な気持ちがした。
其の時、空に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と三声聞こえ、その念仏と私の口からい出ます念仏と一つに相通じている。
称える念仏でなく回向から通じる念仏である。
其の時私は吹き飛ばされていたのである。
そしてドーンと地上に落ちたらしい。
初めて〈やられた〉と気がついた。
しかし妙なことに、直立の形で落ちたらしい。
其の途端に壕の砂がくずれて、首から下は全部砂にうずもれた。
少しでも傾いて落ちたら、全く命がなかったはずである。
一時間の空襲である。
その時の痛さは言葉にかからぬ。
血を吐いた。
敵機が帰った後病棟の衛生兵が、タンカを持って来た。
ああナンマンダ仏やられたか、よしよし一番に掘り出してやると運んでくれた。
病院は陰も見えず、雨は降る降る火の手は上がる。
口にかからぬ。
私は早かったので一張りのテントの中に入れられたが後より送られる負傷兵はテントもなく露天に雨にさらされてウンウンうなってころがっている。
テント内は二十人ほど。
何百の負傷兵は雨ざらしの惨状はとても表現出来ない、身ぶるいするほど。
それを実地に体験した兵隊の思いは、いかばかりか。
戦争は悲惨の極みであり呪わしい。
病院と言うても手当もなく、いたみ止めの薬一包、その日の手当はそれで終わり。
食事にありつけぬ。
ショックで気が狂い大声でわめく兵、浪曲をうなる兵、両眼がどろんと飛び出している者、手足のちぎれた兵士、地獄もかくやと思う光景、水をくれと叫ぶ者、痛い痛いと泣く者、お母あお母あと呼ぶ者、子供の名前を呼び、雨にたたかれながら走り廻る者、雨で炎は消え煙りは大地をはう。
私も体の痛み一方ならず、ハエ一匹止まっても毛穴が立つ。
歯をくいしばって、小声で念仏聞いていた。
そこえ衛生兵が来て「ナンマンダ仏どこや」。
私は返事も出来ずナマンナマンと。
「そこか、えらい目に会うた、手を出せ」と言われるまま手を出す。アーイタと思ったら注射一本、〈熱も大分下がっている〉と帰った。
一時間、痛みが止まる。
亦泣きさけぶ者、だまれだまれと叱る者、叱った者がまた痛い痛いと泣く。
そこえ「ナンマンダ仏どこじゃ」と、「うーん、そこか脈を見てやる」。
アーイタ、また注射、苦しみが消える。燈火がないから他の兵に判らない。
其の空襲で目をやられて、右眼今でも視力がほとんどない。
ふと横を見ると将校の口からウーンウーンともれていた。
不思議に思って顔をのぞくと、その将校もまた私の顔をのぞく。
私たまりかねて「あなた念仏しなさるなー」。
将校も「お前も念仏するなー」と、その一言で意気投合して、もう何にも遠慮はいらぬ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と。
それはそれは有り難かった。
するとまん中にいた兵士が悲しい声で「もう念仏は止めてくれ、止めてくれ、念仏の声を聞くと心細くて死ぬかと思う」と、哀願する。
それを聞いた私は身の痛さも忘れて座し、その兵に向かって「お前は何を言うか。
国出る時、七度生まれかわって国に報いん、と教えられたでないか。
そんなことで生まれかわることが出来るか。
念仏は死ぬ声ではなく生まれる声であるぞ」と。
その声聞くや兵は驚いて「どんな悪人でも生まれるか」と。
「必ず助かる」と。
兵はそれを聞いて苦しき中より自分のこれまで歩んだ悪の生活を全部告白した。
そして亦問う「こんな悪人でも助かるか」と。
「おれの様な悪人でも助かる。
お前が助からいでか」と、兵はそれでもまだ不安であったか「きっと助かるか」と。
念を押す。
その時「そんなこと、おれは知らん」と突き放す。
と、また「キット助かるか」とつき返した瞬間「仏説なるが故に」とゆう言葉がとんで出た。
その声を聞いて、重傷の兵士、驚喜してその場に端座して合掌、南無阿弥陀仏、と一声称え、そうしてまた、南無阿弥陀仏、と念仏称え、今度は直立不動の姿勢になり、合掌、南無阿弥陀仏、と一声大きく念仏してそのまま、バッタリと地上に倒れ、そのまま息絶えたり。
そしてその夜は、隣りの将校と共に念仏称えながら、足をなぜ、肩をなぜながら念仏。
〈ああ、この足で幾千里苦しかったなー。
この肩で、重い背嚢、かつぎ苦しかったなー〉と涙を流して、共にさすりながら通夜した。
涙、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 
よかったなー、涙、涙、涙。
夜明け前に、我にかえり、静かになったなーと、あたりを、ながめたら、三分の二は重なり合うて死んでいる。南無阿弥陀仏

・・・戦争の悲惨さは言うまでもありませんが、臨終説法とはこういうものかと思いました・・・

もっと沢山の体験が書かれていますが、私が気に入っている所をご紹介しました。
興味があれば読んで見てください。

南無阿弥陀仏阿弥陀様が私を呼ぶ呼び声です。
それは私が称えた声がそのまま阿弥陀様の呼び声なのです。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

親鸞聖人と同じ信心か?

信心を頂いたと言われても果たして何を基準に計れば良いのか。

私は親鸞聖人のお言葉に従うしかないと思います。

親鸞聖人はいろいろなお言葉を残してくださっています。

特に歎異抄には誤解されやすいお言葉が多くあります。

故に今回は歎異抄以外のお言葉に従おうと思います。

 

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏、日域の師釈に、遇いがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。

真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。

ここをもって聞くところを慶び、獲ることを嘆ずるなり。 

教行信証 総序

 

以上のように法に出会えたことを、阿弥陀様に出会えたことを喜ばれております。

 

凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず。

一念多念文意

 

我が身は凡夫であり、死ぬまで変わらないとそのことを告白されています。

 

一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。

教行信証 信巻

 

我が身に真実なしと告白されています。虚仮不実の人間であることを語っておられます。

 

真宗紹隆の大祖聖人(法然)、ことに宗の淵源を尽くし、教の理致をきわめて、これをのべたもふに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり。

御伝鈔

 

ここには一切の善行を行うこと無く、「聞」で救われたことを告白されています。

 

煩悩、眼を障へて見たてまつらずといえども、大悲、倦くきことなくしてつねにわれを照らしたもうふといえり。

正信偈

 

そして、つねに大悲(阿弥陀仏のお慈悲、南無阿弥陀仏)に照らされていると喜ばれています。

 

法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらわして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこしあらはれたまふ。

唯信鈔文意

 

以上のように阿弥陀様の不思議の誓願を説き阿弥陀様を讃談されています。

 

経に聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。信心といふは、すなはち本願力回向の信心なり。歓喜といふは、身心の悦予を形す貌(かおばせ)なり。乃至といふは、多少を摂するの言なり。一念といふは、信心二信なきがゆえに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなわち清浄報土の真因なり。

教行信証 信巻

 

仏願の生起本末を聞いて疑心は無い。そして歓喜がある。それは一念であり、浄土への一心であると言われています。

 

念仏成仏はこれ真宗なり。仏言を取らざるをば外道と名づく。

 

 あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。

 教行信証 行巻

 

このように念仏によって成仏するのだからお念仏をすべしと言われています。

 

像法のときの智人も

 自力の諸教をさしおきて

 時機相応の法なれば

 念仏門にぞいりたまふ

 

信心のひとにおとらじと

 疑心自力の行者も

 如来大悲の恩をしり

 称名念仏はげむべし

 

真実信心の称名は

 弥陀回向の法なれば

 不回向となづけてぞ

 自力の称念きらはるる

 

無慚無愧のこの身にて

 まことのこころはなけれども

 弥陀の回向の御名なれば

 功徳は十方にみちたまふ

 

 愚禿悲歎述懐和讃など

 

御和讃には念仏門に入って、お念仏を称える事が大事と言われていますが、ご信心の伴ったお念仏がもっと大事だといたるところで言われています。 

また、他の御和讃では自分にも他人にも恥じる心は無いが、阿弥陀仏から頂いた南無阿弥陀仏は我が身に満ちているばかりでなく世界中に満ちていると言われています。

 

ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。

 たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。

 

最後は教行信証総序に書かれているお言葉をそのまま受け取ることが出来るかどうかです。

 

御和讃を調べればほんとうに沢山の信仰告白をされています。

信心はハッキリする、そして我が身が必ず照らされると言われています。

ただし、私には救われる縁手がかりが無いこと、我が力で往生は出来ないことがハッキリするわけで、浄土に生まれることが私にハッキリ分かることではありません。

浄土に生まれさせていただくのは阿弥陀様のお力ですから。

そして喜べない御信心など無いと。

また、お念仏すべしと言われています。

 

最後はお一人お一人のお心に聞いて下さい。

 親鸞聖人のお言葉に私も同じだと同感できるかどうかで親鸞聖人と同じ信心かどうかが計ることができると思いいます。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

浄土真宗は仏教か

年も明け令和2年となりました。

今年もよろしくお願いします。

さて、今年最初に思ったのが浄土真宗は仏教なのかどうかということです。

一部ではサンガ(正式な出家僧侶の集い)が無いからとか、戒律が無いからとか、行が無いからとかの理由で本当に仏教と言えるのかと言われることがあります。

戒律が無いのはその通りですが行が無いと言えるのかそこは疑問が残ります。 

 

さて仏教はお釈迦様が説かれたみ教えです。

 教え「教」にしたがって「行」を行い、悟り「証」を目指すのが基本です。

「教」「行」「証」の順番です。

悟りとは言うまでもなく「仏」になるための段階のことです。

仏を目指して行を行うのです。

その行は八正道であり六度万行などがそうです。

いわゆる聖道門です。

日本では、天台宗真言宗、さらには禅宗などです。

浄土門と言われる宗教においても念仏を称名する「行」により信心を頂くこと(悟りの一種と見なせると思いますが疑問もあるでしょう)を目指す所もあります。

どちらかと言えば浄土宗にその傾向がみられますが全てではありません。

浄土真宗はどうかと言えばいわゆる「行」を認めませんが、本当にそうなのか大いに疑問の残る所です。

本願寺派はさほどではありませんが、高田派は称名念仏を勧めます。

親鸞聖人のお書きになった「顕浄土真実教行証文類」は「教行証」となっています。

「行」の巻においては、称名念仏の功徳が説かれており、称名念仏が勧められています。

ところが次に「信の巻」があります。

ここでは信心と言うものがどんなものであるのか、そして信心を獲ることが如何に大事かを説かれています。

 この流れは、行は大事だが信心がもっと大事であるとのべられた形になっています。

 

ではその行の元である六字とは如何なるものなのか説かれたのが六字釈です。

善導大師は、南無阿弥陀仏という六字に願と行が込められているから、いわゆる願行具足の南無阿弥陀仏だから、称えるそのままを救う阿弥陀仏の本願と言われてます。

ですから唯願無行ではないと解釈されています。

それを本願成就文では、その名号(南無阿弥陀仏)を聞くことにより信心歡喜になると説かれています。

ここで親鸞聖人は「仏願の生起本末を聞く」と言われていますが、それはとりもなおさず南無阿弥陀仏の謂れを聞くと言うことであり、南無阿弥陀仏をそのまま聞く、あるいは称名をそのまま聞くと変わりがありません。

ただし、これも単なる音として称名を聞くのは違うと思います。

南無阿弥陀仏の六字の名号を称えるだけでなく、その名号に込められた思いを如実に聞くことが信心なのです。 

如実の聞です。

 

そして大事なのは、ご信心を頂くためにどれだけの称名念仏をしようが、どれだけのご聴聞をしようが我が身の後生の解決には一切間に合わないのです。

それは私の業があまりに深く私が行う「行」に、たとえ功徳が有ったとしても大地にスコップで穴を掘って地球の底のお宝を掘り出すようなものなのです。

どれだけ掘っても無駄と言うことに気づかせて頂くのです。

御一代記聞書には以下のように言われています。

「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、心源もし徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」といへる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなりと。」

これは明らかに「自力の聞法という行」を勧めておられます。

聞法という行と称名念仏と何が違うでしょうか。

同じだと思うのです。※参考

一人一人にそれぞれの道が有るとは言え、この世に生を受け阿弥陀様に救われるまでには多かれ少なかれ同じ道を通っています。

 

 こうして信心を頂くことにより仏となるための一つの条件であるお浄土に行くことができる身になります。

この世の縁が尽きたら、次の生が待っています。

阿弥陀様のお浄土で仏とならせていただくのです。

 

やはり浄土真宗は仏教で言う「教」、「行」、「証」のとおり進む道が勧められているわけですから仏教以外のなにものでもないですね。

 

そしてそれは現在、只今、落ちるそのままで往生の身とならせて頂くのです。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

参考 

善導大師 玄義分

これらの衆生不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具す。 この人悪業をもつてのゆゑに、さだめて地獄に堕して多劫窮まりなからん。 命終らんと欲する時、善知識の、教へて阿弥陀仏を称せしめ、勧めて往生せしむるに遇ふ。 この人教によりて仏を称し、念に乗じてすなはち生ず

 

親鸞聖人 唯信鈔文意

「乃至十念 若不生者 不取正覚」といふは、選択本願の文なり。この文のこころは、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とちかひたまへる本願なり。

Star wars episode Ⅸ Force be with you!!

Star wars  episode Ⅸ を見ました。

良かったですね。

映画は本当に面白いです。

荒唐無稽なところは置いておいて単純に楽しめます。

見終わった後でいろいろ思いが出てきます。

最初のエピソード4はもう40年以上前になります。

ひとつネタバレ、

エピソード4の時のパイロットが出てきます。

どうでもいいことですがとても感動しました。

オマージュ的なシーンもあり懐かしくもあります。

シリーズも本当にこれで最後なのでしょう、少し残念な気がします。

 

ところで至る所で「フォースと共に」の台詞が今回も沢山出てきます。

あらためて思うのですが「阿弥陀様(南無阿弥陀仏)と共に」とダブってしまいます。

どこにいても、いつでも、忘れていても、いつも一緒です。

なんと心強い言葉なのか。

 この教えに遇っていなかったら私の人生は本当に虚しいものだったでしょう。

人を羨み、妬み、怒りをなし、恨みを買い、今に満足せず、不満ばかりだったでしょう。

そのせいで人生を自分から駄目にしていたかもしれません。

危ないところでした。

基本的には今も同じですが、私という人間はそういうものなのだと受け止めざるを得ないのです。

その事を阿弥陀様に教えられました。

 

さて、今年もあとわずかとなりました。

皆さん、ありがとうございました。

 

明日をも知れない命です。

命の有る限りお念仏を称えながらご法話を聞かせて頂くだけです。

ただし、煩悩にいつも邪魔されっぱなしです。m(_ _)m

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

信前のお念仏と信後のお念仏の違い

称名念仏については以前書きましたので今回は信前のお念仏と信後お念仏について個人的な思いも含めて書きたいと思います。

称名念仏について考える - とくよしみねの「なぜ生きる」

前提条件としてお念仏は口称念仏とします。

信前と信後についての判断は何を基準とするかですが、これは人それぞれですので一概にこうだと言えないところが本当は一番の問題だと思います。

しかし、何か決めておく必要があると思いますので一般的な言い方で言いますと無疑心であるかどうかです。

何に対して無疑かと言うと阿弥陀様のご本願についてです。

信前の具体的な心の例としますと「どうしたら救われるのか、阿弥陀様が分からない、救われた気がしない、本当に救ってくださるのか」等々阿弥陀様を疑っている状態です。

一方、信後の具体的な心の例は、「分かった、阿弥陀様にお任せしました、そうだったのか、有り難い、申し訳ありません、地獄一定は私だった、呼びづめだったのだ、お念仏が本当だつた、往生は任せた」等々です。

 

信前のこのような状態での口称念仏は簡単に言えば、信前は自分のお念仏がなんとなく往生の足しになるのではないかと言う思いがどうしてもあります。

ところが信後のお念仏にはそういう気持ちは全くありません。

むしろお念仏を称ることさえ忘れてしまっています。

 

こういう違いが一般的だと思うのですが、では、信前のお念仏は称えるべきなのか称えないほうが良いのか一体どちらでしょう。

 

阿弥陀様のご本願には「乃至十念」としか書かれていません。

(追加:乃至十念は一般的に信後のお念仏と解釈されます)

乃至はご存じの通り数を問わないと言う意味です。

十念は浄土宗では十回のお念仏と解釈するところもありますが、真宗の一般的には何回でも良いと理解しています。

ただし、間違っても称えるなとは何処にも書かれていません。

阿弥陀経を始めお念仏には大きな功徳があると説かれています。

当然、信前のお念仏は称えるなとは何処にも書かれていません。

そして、信心を獲るために必要なのは名号を聞く事「聞其名号」であるとお釈迦様は言われています。

この聞くと言う事が自分の称えたお念仏を聞くことも含まれています。 

ここが一番大事なところなのですが、解釈が分かれるところです。

善導大師は二河白道の譬えに信前の行者に対して「一心正念」と言われていますが、お念仏か信心かそれとも信心のこもったお念仏か明確になっていません。

行(称名念仏)に関する見解が本当に沢山有ります。

 

 そもそも真宗や浄土宗では普通にお念仏を称えることを推奨しています。

当たり前のようにお勤めでは信前であろうが信後であろうがお念仏を称えます。

ですから、称え心について特段の定めがありません。

あえて言うなら「阿弥陀様の呼び声」と思って称えなさいと言われるだけです。

そのお心は、信前も信後も変わらないのです。

ただ、紅楳先生もおっしゃってますが、信後のお念仏はご恩報謝のお念仏になります。

簡単に言えば「ありがとうございます、南無阿弥陀仏」と言うことです。 

しかし、信前のお念仏をあまり評価をしない人も多くいます。

特にテレビやラジオから流れるお念仏などに価値を認めない先生もいます。

追加です。

信後のお念仏はご恩報謝に限るということについては疑問が残ります。

 

それでも、この世に生を受けてから南無阿弥陀仏に出会い、何かの間違いで阿弥陀様のお慈悲と出遇うまでに何度お念仏を称えたことでしょう。

このお念仏に導かれてきたのは間違いないことだと思うのです。

高森顕徹会に出遭うまえからお念仏のご縁に触れています。

では、そのお念仏に功徳は無いのか、あるのか。

これは誰も証明出来ないのです。

 

 間違いないことはお釈迦様を始め七高僧方だけでなく親鸞聖人、さらには善知識方が間違いないと仰っていることです。

何を言われているのか。

南無阿弥陀仏阿弥陀様であり、南無阿弥陀仏によって救われると。

そして、全分他力だということを。

 

繰り返しますが、信前のお念仏は無駄と何処に書いてあるでしょうか。

何処にも書かれていません。

それを当て力にして御信心を頂こうとする心が悪いと言われているだけです。

特に蓮如上人はそのことを徹底されています。

 

信心が特に大事と具体的に言われたのは親鸞聖人が始めてであり、お念仏の力、信心で救われると言われました。

では、再度考えてみます。

信心で救われるとは何なのか。

阿弥陀様の本願、南無阿弥陀仏に他ならないのです。

南無阿弥陀仏は、当然観想もあり口称もあり、文字にも成っています。

そして南無阿弥陀仏阿弥陀様ご自身です。

光明無量、寿命無量の色も形もないのが本当のお姿です。

不思議、不思議の他は無しです。

 

結局、信前のお念仏の評価をすることは出来ません。

自力のお念仏は信心に間に合わないのは間違いないことであるとは言え、だから称えないと言う判断は間違っています。

信前は止めろと言われても、称えざるをえないのが私の姿です。

それに信前には称えるなとしたらお念仏をどうやって広げていくのでしょう。

世の中は信後の人の方が少ないのです。

三才の子供に教えるのはお念仏、臨終の人に勧めるのはお念仏なのです。

現実に現代ではお葬式でもほとんどお念仏の声が聞こえません。

まずはお念仏を称えるところからスタートなんです。

 

余談ですが、

 

空華の本山、行信教校では徹底的に自力を排除し、他力のお念仏を強調します。

しかし、学校ではお念仏を四六時中されています。

この矛盾については、「すべてお礼の念仏です」と言われるでしょうね。

 

石泉はお念仏に功徳を認めますが、称名念仏が信心に間に合うとは言いません。

また、行信教校のような学校はありません。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

この世界は理屈や道理だけで理解出来ない

この人間社会は理屈や道理で成り立っています。
理屈や道理に合わないものは間違っているとして排除されます。
だから宗教は理屈や道理で説明出来ないため現代社会では盲信の対象と見なされます。

では理屈や道理とは何か。
目で見、確認した事実や現象により導き出された一般的及び大多数に共通した認識を言葉で表したものに過ぎないのです。

その一つの例が物理学の世界です。
とりあえず、私が興味のある世界の一部を書きます。

特殊相対性理論によると高速移動している物体にいる人と地上にいる人とは時間の進み具合が異なります。
実際に宇宙ステーションにいる人と地上では時間がずれます。
タイムマシンが実現すると言われる理由がここにあります。
この現象は数式によって表されます。

Δt'= (√(1-(v/c)^2))*Δt

ウラシマ効果と言います。

また、光速に近づけば近づくほど質量が重くなります。
有名な E=mc^2 の式で表されます。
原爆はこの数式を目で確認できた現象の一つとも言えます。

光はどこにいても同じ速度です。
地球にいようが高速で飛ぶロケットのなかにいようが同じです。

物には重力ががあり大きければ大きいほど大きくなります。
また、重力が大きいほど時間の進み方が遅くなります。

ですから地球の重力が弱くなおかつ宇宙空間を地球の自転に合わせて高速で動いているGPS のための人工衛星は時間及び位置補正を常に行っています。

これらの現象は何故起きているのか、またその理由を果たして説明出来るでしょうか。
起きていることは事実なのです。
そして起きている現象の一部は、数式で一応表すことが出来ています。

人類が知っていることは、この世界のほんの一部でしかありません。
それも絶対的な真理ではありません。
我々が考えた理屈や道理に我々が従っているだけです。
数学や物理の概念だって新しい考え方が今後発明あるいは発見されるかも知れません。
世界が天動説から地動説に変わったように世界観が一変することもあるでしょう。
なのに人間の考えた理屈や道理が世界を支配していると勘違いしています。
その頭で宗教を考えるから、まず、受け入れることが出来ません。
ある意味、受け入れることが出来なくて当たり前なのです。

だいたい「宗教は理屈に合わない。宗教は盲目だとか、宗教に頼らなければ生きていけないのは人間として弱い。」と思う考え方が現代においては一般的になっています。
そう言いながらこの世界は理屈や道理に合わないことで一杯です。
そして、一度不幸や災難が訪れると「何で自分がこんな目に遭わなければならないのか」とやり場の無い怒りに支配されます。
そもそもそう思うこと自体心が弱い証拠では無いでしょうか。
手足の1本が無くなろうか、家族が死のうが自分が死にかけになろうが関係ないくらいでなければならないのか。
実際には、そんな人は不幸な人でしかありません。

所詮、人間は弱い存在なのです。みんな強がっていますが一人になれば寂しい人たちばかりです。
また、どれだけ理屈をこねても真実は見えてきません。
果たして、本当に宗教は必要無いのか。

私は自分の存在が何て不安定な所にいるのかに気がついて愕然としたことを覚えています。
死に対する恐怖です。
科学でも哲学でも解決できない問題に途方にくれていました。
死など皆が通る道だから何も怖れる必要はないと頭で考えても、どうしても納得が出来ませんでした。
真っ暗がりで出口の見えない世界に閉じ込められているようで人生が空しくてしかたありませんでした。
どんな生き方をしようが全てが死によってリセットさせられてしまうのです。

「何のために生まれてきたのか。」

光を求めていました。
今死んでも後悔しないことが出来るのか。
だから、そんなときに救いのある教えに出会ってコロッと騙されました。
騙されたのに気がついて、そこから離れても救いを求める気持ちには変わりありませんでした。

運良く正しい仏教に出会うことができたお陰で、他の宗教も冷静に判断することが出来るようになりました。
果たして私の選択が正しいかどうかは分かりません。
しかし、少なくともお釈迦様のお導きにより阿弥陀仏という仏のお慈悲には出遇わせて頂きました。
そのおかげで今は煩悩に振り回されながらも元気に生活を送らせていだいています。
後生はどうかと言われても「死にたくない」しかありませんが、後は阿弥陀様のお仕事と言い切ることができます。

理屈では説明できないことですが、出遇ってしまったのです。
今、皆さんも私と同じように阿弥陀様に出遭われていると思うのです。
何を選択するかは、最後はお一人お一人のご判断です。

阿弥陀様は、現在、ただ今、落ちるそのままの私を南無阿弥陀仏一つで救うと誓っておられます。

不思議、不思議の他はなし。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

和言愛語と触光柔軟

和顔愛語と触光柔軟 注1、2

 

まず断っておきますが、高森顕徹会でも都合よく使われていましたが、こういう言葉を悪用して暗に、「どんな嫌なことがあっても我慢して努力する」ことを強制する団体は多いので気を付ける必要はあります。

とにかく何でも我慢せよと言うのはおかしいと思うべきです。

特に「先生の深いみこころ」等と言うのが一番怪しいのです。

この一言で納得しているとしたらマインドコントロールされていると思った方がいいと思います。 

 

 しかし、和言愛語や触光柔軟のお言葉は当たり前のことを言われているだけなんですよね。

 

特に最近の自分には本当に大事な言葉だと思います。

ともすると信心を獲たと思う人は造悪無碍に走りやすい傾向があります。

なぜなら阿弥陀様はすべてお許しと思う心があるからです。

特に私が強く思うのかもしれませんが、他の人にも多かれ少なかれ有ると思うのです。

共に凡夫なのですから。

だからなおさら反省しなければならないと思います。

 

私を導いてくれた人たちは皆、魅力的な人たちばかりでした。

その中の一人の方は私に言いました。

「人に仏教を伝えたかったら魅力的な人になれ。」

あー、そうなんだと思わされた言葉でした。

当たり前と言えば当たり前なのです。

 

そこで思い出したのが「和言愛語と触光柔軟」のお言葉でした。

共に人に不快な思いをさせない、嫌な気持ちにさせないことです。

 

嫌なものは嫌、嫌いなものは嫌い、間違っているものは間違っている。

どうして人に気を遣わなければならないのか。

意味無いと思う。

本当のことは、ハッキリ言ってやった方が良い。

自分の心に正直になるのが一番だ。

 

 などと内心思っていたのです。

色々な所で「自分に素直になれ」とか「正直になれ」という言葉を聞きますが、一方では正しいのですが一方では大変な誤解を生みやすい言葉です。

極端な言い方ですが、「社会は嘘でこりかたまっている」と言われることも有ります。

よくよく考えるとこれも自分勝手な言葉です。

確かに社会には矛盾が多くあります。

しかし、矛盾の無い世界などありません。

社会は色々な人が衝突することをなるべく少なく暮らすべき世界なのです。

ただでさえ好き勝手なことを言っていたら世の中衝突だらけです。

寛容の心も必要です。

だから、まず法律があるのです。

人権が全く無視された国でも法律が無い国はありません。

これは、根本的なところに自分がされて嫌なことは人にするなという根源的な思いがあるのです。

一方で統治するのに便利という支配者の論理もありますが、まず、自分が嫌がることを人からされたらどうでしょう。

正直、へこみっぱなしです。

それでも傷付かないなんてありえません。

どこどこまでも自分勝手な存在なのです。

それが私の姿です。

だからできる限り自分がされて嫌なことは、人にはしてはいけない。 

それと自分が発した言葉は、全て自分に帰って来ると思うのです。

言葉は恐ろしいですね。

 

私達は仮にも仏教を信奉しているのです。

私が信じる、信じないにかかわらず、仏教を尊いと思う心がかけらほどでも不思議にもあるのです。

 

ならば、努力すべきなのです。

和言愛語と触光柔軟

私には無い心ですが、嘘でもまねすべきはお釈迦様の金言です。

努力することはなんら恥じることも無いのです。

しかし、誇ることでもありません。

お釈迦様のお言葉に無条件に従うことだけです。

出来ないことですが、少しでも見習うべきと思うのです。

(・・・思っているだけかもしれませんが)

 

今更ですが、仏語は心に響きますね。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

注1:和顔愛語(和顔悦色施)

和やかな笑顔と優しい言葉は、周囲を和ませ、穏やかな空気を生み、失意の人を励ます力もある素晴しい行いですが、それだけではなく、笑顔で人に接しようと努めている自分自身が大きな幸せを手にできますよ、とお釈迦さまは説かれています。

 

無財の七施の一つ

布施行の一種で仏教徒が心がけねばならない態度。『雑宝蔵経』六の「七種施因縁」に「是れ七施と名づく。財物を損せずと雖も大果報を獲る」(正蔵四479中)と説かれており、財物がなくても他者に布施をなすことのできる七つの行い。

眼施げんせ。相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接すること。

和顔悦色施わげんえつじきせ。和やかな喜びの顔つきで接すること。

言辞施ごんじせ。相手に柔らかい思いやりのある言葉をかけてやること。

身施。相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていくこと。

心施。善い心で相手の立場にたち心をかけていくこと。

床座施しょうざせ。相手に座席を設けたり、譲ったりすること。

房舎施ぼうしゃせ。自分の家を一夜の宿として提供すること。

 

注2:触光柔軟の願 大無量寿経

たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、わが光明を蒙りてその身に触れんもの、身心柔軟にして人・天に超過せん。もししからずは、正覚を取らじ。

 

『大無量寿経』三十三願「触光柔軟の願」には、このように本願が誓われている。

触光柔軟ということは、私たちが光明に触れるときに、柔軟な心をたまわるということである。

それは単に柔らかいということではなく、どこまでも頑固な自分の自身の姿が照らされるということであり、「我」を主体としていることに気付かされるということである。いつも自我を中心に生きてきた自らの実態と、そのような私であるからこそ、願いが差し向けられているという事実に頷かされることが、仏に出遇うことの具体的なありかたである。

そして仏に出遇うことができたときに初めて、仏を敬うのと同じく、仏の大悲を生きているすべての他者を敬う柔軟な心が、私に起こるのだと説かれているのであろう。

東本願寺HPより引用)