赤尾道宗心得21箇条
第1条
後生の一大事、いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事。
第21条
あさましのわがこころや、後生の一大事をとげべき候ならば、一命をものの数とも思わず、おおせならば、いずくの果てなりとも、そむき申まじき心中なり、また、唐、天竺へなりとも、求めたずねまいらせ候はんと思うこころにてあるもの を、これほどは、思いきりたるわが心にてあるに、おおせにしたがい、うしろぐらくなく、法義をたしなみ候はん事は、さて、やすき事にてはなきかとよ、かえすがえすわがこころ、今生は一たんなり、いまひさしくもあるべからず、かつえても死に、凍えも死ね、かえりみず、後生の一大事、 油断してくれ候な、わがこころへ、かえすがえす、いま申ところ、違わず、身を責めて、たしなみきり候べし、かえすがえす御おきて、法度 を、そむかず候て、しかも内心には、一念のたのもしさ、ありがたさを、たもち候て、外相にふかくつつしめ申して、くれ候へ、わが心へ。
現代語訳(例)
1.後生の一大事、命のあらん限り、油断してはならぬ。
21.思えば、嘆かわしいわが心だなあ。後生の一大事を成し遂げ得ることならば、一命を ものの数 とも思わず、善知識の仰せなら、「何処の果て へ も 行け」と申されても、背きますまい という決心をし、また、唐や天竺まででも、仏法を求め、お訪ね申したい と 思う覚悟でいるのに・・それ程までに 思い切ったわが心 であるのに、それに比べてみれば、如来様の仰せに従い、一心一向になって法義をたしなむという事は、さて さて たやすいことではないかい。よくよく考えてくれよ、わが心よ。この世は、しばらくの仮の世で、久しくおれる所ではない。そうしてみれば、この世においては、飢え死に しても かまはぬ、また、凍え死に しても かまわぬ。それを省みずに、ただ 後生の一大事に油断をしてくれるな。わが心よ。返す返すも、今 申すところに、違わず、わが身を責めて、たしなみぬいてくれよ。どこ どこまでも 国や所の掟 や 規則に背かず、しかも内心に一念帰命の信心の頼もしさ、ありがたさ を しっかり持って、外相は、深く謹むように仕向けてくれよ。わが心よ。
私の好きな言葉です。
昔は「道宗はすごいな」としか思いませんでしたが、今はとんでもない人だと思います。
仏様の化身でしょうか、薪を48本並べてその上でいつも寝ていたんですからね。
我が心が本当によく見えていたのでしょう。自分に厳しく、法に厳しく、さすが道宗と思わずにおれません。
それも蓮如上人の時代ですよ。今とはぜんぜん違う、五箇山は本当に寒い所なんですよ。
すごいとしか言いようがない。
道宗の言葉は私にいつも響いてきます。
後生の一大事、息の切れるその日まで油断するな、信心頂いたなんて思うな、信心頂けるような自分か、と聞こえてきます。
どこかで聞いたことがあります。
いつも阿弥陀様の有り難い事ばかり話していた僧侶が、死ぬ間際に「しまった。」と一言いって死んでいった話を。
この僧侶は阿弥陀様の有り難いだけを掴んで自分のことは忘れていたのでしょうね。
一種深信だったのでしょう。
怖ろしいことです。
我が心、油断するなよ。