忌野清志郎の歌のタイトルです。
先日、テレビで武道館ライブ(結局最後のライブでした)を見ました。
知っている人は知っている名曲だと思います。
まあ、自分が思っているだけかもしれませんが。
年が分かってしまいますが、学生時代にRCサクセッションの「トランジスタラジオ」を聞いてすごい衝撃でした。
すでに発売から数年も経っていたのに知らなかったのです。
それからRCサクセッションを沢山聞きました。
そして、知った曲が「僕の好きな先生」です。ほかにも良い曲は沢山ありますが、リアル感がすごい曲だなと思いました。
「いいことばかりはありゃしない」は「そうだな」と思いながら学生時代を過ごしていました。
知らないうちに音楽から結構影響を受けていたのだなと思います。
今更ながら歌手は「すごいな~」と思います。あの、感性は私にはありません。
何か深いところの自分をいつも見つめているのではないかと思います。
欲望は果てしなく、何をしても満足せず、しばらくしたら飽きてくる、その繰り返しにゴールは無い、何とも言えないむなしさに包まれながらそれでも生きなければならない、なんともならない気持ちに支配され苦しくて仕方なくなる、それでも頑張って生きて行くのに何の意味があるのか、そんなことをずっと思いながら過ごした学生時代、歌に感動しても答えは得られない、その疑問に答えてくれたのが仏教でした。
でも、出会ったら幸せばかりだったかというと反対に求めても得られないものにとことん苦しめられるとは何をしているのか。
たとえ仏教と出会ったとしても本当に満足しているのか、苦しみのこの世界は何も変わらないのではないのか。
信心がある、無いにかかわらず、私は同じだと思います。
ただ、ひとつ違うのは人生が終わることに対してしかたないかと思えることだけです。
「いいことばかりはありゃしない」それがこの世の中なのですよね、自分の宿業を引き受けていく世界なのかなとも思います。
「いいことばかりはありゃしない」そのことを受け止めて生きて行けば結構楽かもしれません。自分の心が気楽になれば世の中案外捨てたものではないかもしれません。
有り難い事に南無阿弥陀仏とも出会うことが出来ました。
南無阿弥陀仏に出会っていなかったら何をしているのか、危なくて仕方ない人生だったでしょう。いまでも結構危ないと思うことがあるのですから。
「いいことばかりはありゃしない」、でも、たまには良いこともあるかも。