とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

ガイロク(街録)

youtubeで最近ガイロクchというチャンネルが人気のようです。

NHKでガイロクという番組がありますが、それのもっと赤裸々なものです。

とてつもなく悲惨な人も多く出ています。

自ら望んだわけでもないのに生まれ落ちたところがそういう所だっただけと片付けることは出来ません。

もうあまりにもひどいのも多いので最近は見ていません。

世の中大丈夫?と思ってしまいますが、それでも人は生きています。

なんとたくましいことか。

そこで語られる事を聞くに付け、生きる目的は人それぞれだということがよく分かります。

何のために生きているのか。

生きるためには何でもやるという人、それよりも今やりたいことのために生きている人、とにかく今生きている人、本当にそれぞれです。

ここに出てきて話したい人はやはり強いのでしょう。

本当に弱っている人はとても出てはこれないでしょう。

そういう人がどれだけいるのか怖ろしくも思います。

人生は苦なりを感じてしまいます。

語っている皆さんは強く生きられているのであまりそうは感じませんが、私なら耐えられない例が沢山あります。

 

世の中には必ず生きる事に疑問を持ち、魂の平安を求める人がいます。

そういう人は宗教や哲学などに心が向いていきます。

死を恐れる人、死を恐れないが空しい心を恐れる人などがそういう人の一部と言えるでしょう。

 

そこで何に出遭い、何を求めるかは人それぞれなのです。

多くの宗教の中から何を選ぶかも仏教的に言えばその人の宿業、宿縁という事になります。

たまたま私は仏教とのご縁がありましたので、他の宗教を仏教的な視点で俯瞰することを学びました。

とはいえ結局、私の頭の中にある阿弥陀仏という存在を通して世界を視ているに過ぎないのかもしれません。

阿弥陀様に教えて頂いた私という煩悩具足の存在を通して世界を視ると、一部ではあまりにも醜くさっさとこの世からおさらばしたい人がいてもおかしくないと思います。

何故なら生きる事さえ許されない環境にいる人たちがいるのです。

ハッキリ言ってこの世は苦しみの世界です。

生は分かりませんが、老、病、死は必ずついて回ります。

老、病、死を忘れこの世の春を謳歌しているときは楽しいでしょうが、それが過ぎてしまえば残るのは空しさだけです。

もう二度とこの世界に生まれるのは御免だと思う方もいらっしゃるでしょうが、仏教的には六道を輪廻するわけです。

さらに佛の悟りを開いたとしても還相回向で何度もこの世の衆生を救いに来るわけです。

この教えが真実としたら本当にたまりません。

 

はてさて何処まで行っても自己中心的な考え方しか出来ません。

そんな奴を今助けると南無阿弥陀仏が届いているのです。

我をタノメ、我が名を称えよと南無阿弥陀仏が届いているのです。

非常にやっかいですが称えるしかありません。

本当は称えさせて頂いているのかな?

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏