人生は苦しみである。
お釈迦様の言葉である。
四つの苦しみを説かれている。
生苦、老苦、病苦、死苦。
代表的にはそうだろうが、それ以外に人生の意義を見いだせずに苦しむこともある。
生きて行くことは出来ても、何をして良いのか分からない苦しみは耐えられないものがある。
すべきことがあり、それにより人様の役に立ち、自分も満足できる、そんなことに出会った人は幸せであろう。しかし、仮にそのことが充足しても、さて、私は何のために生きているのかと考えたとき何とも言えない空しいものが心を覆っていく。
誰かにすがりたい、誰か助けてくれ、何が本当なのか教えてくれ、生きて行くのが辛いとネガティブな心が次から次へと出てくるのである。
押さえることの出来ない感情はどこへ発散させたら良いのか。
いろんな本に何か答えが無いのか探してみる。
有名な本の中には疑問符だけ残して答えが無い。神に仕えられないと神を捨てるが捨てきれず苦しみながら生きる、仏の悟りを求めながら求めえず乞食をしながら悟りを探す。そんな話をあちこちで聞いた。
そこまででなくても、いろいろな世界で自分の人生を試そうと頑張って、夢破れて、仕方なく好きでもない仕事をしながら惰性で生きている、本当にそれで良いのか、いつも自問しながら周りの人を恨んでいる。
そこからは何も生まれないことは分かっていても、外に向かって叫ばずにおれない。この腐った世の中、無くなってしまえば良いと、皆死んでしまえと。
魂の叫びは私を気づかせる叫びなのだが、迷いは深く自分を見ることを拒否し、人を傷つけずにはおかない生活から抜け出すことが出来ない、惑業苦である。
それでも皆社会のルールを守っているのだから、それに合わせて生きて行くのは本当に辛いのである。
あ~、何のために生きているのか、何処に向かっているのか、どうすれば良いのか、だれか教えてくれ~。
この苦しみ、本当に大変な苦しみだと思う。
だから、オウムも幸福の科学も大流行。
だが、そこから本当の幸福が得られない、そのことに気づくのには時間がかかり、気づいたときには人生のほとんどが過ぎている。
果たして、仏教に出会えた人はその苦しみから解放されるのである。
「浄土真宗、頑張れ。」「仏教頑張れ。」
・・・と言うと全部自分に帰ってくるのである。自惚れかもしれないがそれだけものを教えて頂いたのは間違いないのである。