とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

梵天勧請(ぼんてんかんじょう)

お釈迦様はお悟りを開かれた後、しばらく悟りの境地を楽しまれました。

そして、この悟りの内容は迷いの世界にいる衆生にとても信じられるものではないと思われ、解脱(涅槃)に入ろうとされました。

私には全く自覚がありませんが、それほど私達に絶望されたのです。

別の言い方をすれば、お釈迦様が悟られた内容は「世の中の流れに逆らうもの」だから人々に伝えるのは困難であると判断されたと言われています。

 この「世の中の流れに逆らうもの」をお釈迦様が悟られたと聞くと、ああ、そうなんだと納得してしまいます。

仏教上の正しいことと言われるものの一つに、八正道があります。

しかし、これらのうち一つでも出来るものがあるかと言えば、私は何一つ出来るものかありません。

確かに普通に賢く能力がある人だったら、こんな私に教え説く気は出て来ないでしょう。

「こんな馬鹿に言っても分かるわけが無い」と思われたでしょう。

 

四十九日がその期限でした。

そこに梵天が現れお釈迦様に悟りの境地を説くよう請求されます。

(請求経や阿含経の中でも書かれているそうです。三度請われたと言われています。)

苦しみ悩む者を救って下さいと請求(しょうぐ)されたのです。

 

次元は違いますが御信心を頂いた人の中には、この法を伝えなければと燃える使命感を持つ方が見えます。

故近藤智文師、故嶋田久義師方はそういう方でした。

梯先生も加茂先生も皆そうです。

今も浄土真宗の御信心が本当にあり、阿弥陀様のお誓いが本当であることを叫んでいらっしゃる方が沢山います。

 

日本は宗教の自由が保障されていますが、世界はそうではありません。

宗教の自由を求めて戦争になります。

戦争は良くありませんが、この浄土真宗のみ教えを破壊するものが現れたらどうするでしょうか。

過去の大陸の歴史は、民族間の紛争で常に勝った方が負けた方を根絶やしにする戦いです。

このことはちょっと調べてみれば分かる事ですが、そういう歴史から目をふさがれた教育をずっと受けています。

中国でも文化大革命で沢山の僧侶が殺害されました。

今、この日本の平和はどうして守られているのでしょうか。

残念ながら隣国の人たちは私達日本人に対して怨みをもって今も子供達に教育して洗脳しています。

そのことに目を背けていて日本を守ることが出来るのか疑問に思うことがあります。

私はこの仏法を破壊する人が来たらどうするのか考えてしまいます。

前回のブログで石山戦争について触れました。

この戦争は仏法を守るための戦いでした。

自分の子供や孫や子孫が救われる教えに出遭うことが出来なくなるのは耐えられません。

お釈迦様ならどうされたか。

梵天はどう言葉をかけてくださるのか。

そんなことを考えると心がざわつきます。

平和な世の中が続いて欲しいのですが、残念ながら過去の歴史を見ると長続きしていません。

いますぐどうなることは無いでしょうが、近い将来何が起きるか分かりません。

それについての備えは本当は必要なのでしょう。

ある意味、今まさに戦争状態なのかもしれません。

経済戦争と言われる状態は、常態化しています。

 

 

真実は、この世の中は苦しみの世界なのです。

それでも仏法を伝えて行かなければならないとしたら大変な使命をお釈迦様は引き受けられたのでしょう。

そして、お釈迦様に続くお弟子方は命がけで法を伝えて下さいました。

そのお陰で今の私があります。

申し訳ないことです。

 

私は残念ながら自分さえ良ければいいと思っています。

この世の中をうまく渡って行ければそれで満足です。

でもどこからか「それで良いのか」という声が聞こえます。

耳をふさいでも聞こえてきます。

南無阿弥陀仏にそんな意味があるとは思いませんが、困ったものです。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

・・・参考・・・

「困苦して我證得せる所も今また何ぞ説くべけん。
貪・瞋に悩まされたる人々は此法を悟ること易からず。
これ世流に逆らひ至微にして甚深・難見・微細なれば欲に著し黒闇に覆はれし者は見るを得ず。」


「世尊、願わくは法を説きたまへ
善逝、願わくは法を説きたまへ
有情にして塵垢少き者あり、若し法を聞かずばた退堕するも、聞かば法を悟り得べけん。」

 

「甘露の門は開かれたり
耳ある者は聞け、己信を棄てよ
梵天よ、人々を、女堯惑せんかと思ひて
微妙の正法を説かざりき」 

 

 

苦労して会得したものを、なぜ私が説かなければならないのか。
貪と瞋に支配された人々が、この法をよく悟ることは難しい。
これは「流れに逆らうもの」で、見がたく甚深であるものだから。
貪に支配され、暗闇に覆われた者には見ることができないのだ。

 

どうか教えを説いてください。
穢れの少ない者たちもおり、彼らは教えを聞かなければ堕落してしまうが、
教えを聞けば法を悟ることができるでしょう。

 

 梵天よ、私は不死, 涅槃の門を開くこととした。
耳を持つ者は聞け、私心を捨てよ。
説法では、皆の恐れを買わないよう注意深く言葉を選ぶので、
人々は高貴な言葉を得るであろう。

南伝大蔵経