とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

お浄土とは

新しい年が始まりました。

中国で始まったコロナは人類をあざ笑うかのように変異し翻弄します。

この先どうなるかは、それこそ神のみぞ知るでしょうか。

さて、そんな暗い話ばかりでは嫌になってしまいますので今回はお浄土について考えてみます。

 

まず、地獄と極楽と言うと地獄の話が多いのは皆さん地獄に行きたくないかなのか、それとも昔いたところだから懐かしいのか分かりませんが、結構興味を持たれます。

ところが極楽、あるいはお浄土となるとピンときません。

行ったことも無いし、そもそもお浄土の話を聞いても「ふーん」で終わってしまいます。

死んだ先がどちらかのかは本当に大事な問題なのですが、ほとんどの人はさほど気にしていないのでしょう。

振り返って私自身についても、ただただ、「死にたくない」とか「苦しいのは嫌」という感情が先に来てしまうのは、私の阿頼耶識がうすうす地獄は苦しいと思っている証拠かもしれません。

 

浄土真宗では御信心を頂いた人は正定に等しい人となり一息切れたその先は阿弥陀様のお浄土に生まれ仏の悟りを開くことになります。

このお浄土は阿弥陀経によれば苦しみは無く、楽のみうける誠に有り難い所のようです。

 

まず、七重の玉垣と並木があります。

それらは金や銀、宝石などの宝から出来ています。

また、七つの宝で出来た池がありまことに功徳のある水が充ち満ちて、池に咲く蓮の華は、車輪のような大きさで青色、黄色、赤色、白色などに光り輝きまことに不思議な良い香りを放っています。

さらに妙なる音楽があふれており、地面は黄金に光り輝き昼夜六字には曼陀羅の華が天から降ってきます。

そしてそこの住人はあふれんばかりの華で多くの他の仏様を供養するのです。

食事の時間までには帰ってきて皆さん極楽を散歩されます。

空には沢山の鳥たちが昼夜六字に優雅な声で鳴きます。

この声を聞いて仏を念じ、法を念じ、僧を念じます。

この鳥たちは畜生ではなく阿弥陀様が姿を変えられたものです。

この世界ではそよ風に合わせて美しい音楽が流れてきます。

そして皆さんが仏を念じ、法を念じ、僧を念じるのです。

 

とまあこんな調子で阿弥陀仏のお浄土およびお徳が説かれています。

説かれていることが何を指しているのか分かりませんが、素晴らしい世界であるのは間違いないことでしょう。

何故ならお釈迦様はその世界を見た上で書かれているのですから。

正直、私には訳が分かりません。

浄土論や浄土論註も読んでみましたがさっぱりです。

とにかくお徳がすごいというのは何となく分かります。

それと親鸞聖人の教行信証にも書かれている通り、徃相回向、還相回向が説かれています。

お浄土はいろいろ煩うことがないため修行に適しているのだと言う話を聞いたこともあります。

親鸞聖人は、お浄土に長居はせず、すぐこの世に還ってくるぞと言われています。

 

個人的にはこの世には還ってきたくありません。

次に来たらどんな人生が待っているのか怖ろしくて仕方ありません。

お浄土がどんなところが分かりませんが、楽のみ受けるのが良いと思っています。

 

「そんな奴が行ける所では無いぞ」という声が聞こえてきますが、私の意思とは無関係に阿弥陀様が連れて行ってくださるのです。

「じゃあ、本当に御信心頂いたの?」という声も聞こえてきますが、まあ、どうでも良いのです。

やはり、単に苦しいのは嫌だだけが私の姿ですね。

そんな私をまるまる救うと言われるのですから、やっぱり私の意思とは無関係です。

さてさて、どこへ行くのやら。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

舎利弗、かの土をなんがゆゑぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなく、ただもろもろの楽を受く。ゆゑに極楽と名づく。

 また舎利弗、極楽国土には七重の欄楯・七重の羅網・七重の行樹あり。みなこれ四宝周帀し囲繞せり。このゆゑにかの国を名づけて極楽といふ。

 また舎利弗、極楽国土には七宝の池あり。八功徳水そのなかに充満せり。池の底にはもつぱら金の沙をもつて地に布けり。四辺の階道は、金・銀・瑠璃・玻瓈合成せり。上に楼閣あり。また金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯をもつて、これを厳飾す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。 舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

 また舎利弗、かの仏国土には、つねに天の楽をなす。黄金を地とし、昼夜六時に天の曼陀羅華を雨らす。その国の衆生、つねに清旦をもつて、おのおの衣裓をもつて、もろもろの妙華を盛れて、他方の十万億の仏を供養したてまつる。すなはち食時をもつて本国に還り到りて、飯食し経行す。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

 また次に舎利弗、かの国にはつねに種々奇妙なる雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの鳥、昼夜六時に和雅の音を出す。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この音を聞きをはりて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。舎利弗、なんぢこの鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂ふことなかれ。ゆゑはいかん。かの仏国土には三悪趣なければなり。

 舎利弗、その仏国土にはなほ三悪道の名すらなし、いかにいはんや実あらんや。このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化してなしたまふところなり。舎利弗、かの仏国土には微風吹いて、もろもろの宝行樹および宝羅網を動かすに、微妙の音を出す。たとへば百千種の楽を同時に倶になすがごとし。この音を聞くもの、みな自然に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるの心を生ず。舎利弗、その仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

仏説阿弥陀経