とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

胸が苦しい

「なぜだろう。

胸が苦しい。」

 

幼稚園児が幼稚園バスに閉じ込められ熱中症で亡くなったという事件が起きました。

これで最近の事件として2件目です。

1件目の時も嫌な思いがいっぱいしましたが、今回はさらになぜか心がざわついて仕方が無いのです。

ニュースを聞くのも嫌になってきます。

家で話が出ると「やめてくれ」と叫びたくなります。

 

「どうもこうも可哀想で可哀想で仕方が無い。

心が張り裂けるようだ。

自分の子供だったらと想像すると「子供を、娘を返せ!!」と狂ったように叫ぶだろう。

宿業なんて言葉で片付けたくは無い。

分かってはいるが本当に残酷な事件だ。

また、幼稚園の理事長の身勝手さも腹が立つ。

「腹を切れ」と言いたくなる。

しばらくはそんな感情に振り回されるのだ。」

 

よくよく考えてみれば世界では同じような事件が至るところで起きています。

ウクライナでは爆弾で子供の多くが亡くなっています。

アフリカでは飢餓で子供たちが死んでいます。

北朝鮮でも同じことが起きています。

私が小学校でアフリカは飢餓の人が多いと教えられてから今も同じ状態が続いています。

結局、権力闘争に明け暮れ人々の幸せよりも自分の煩悩を優先する指導者たちによって引き起こされているのです。

アフガニスタンタリバンによってまた貧困状態に陥っています。

そういう話は耳にずうっと入ってきていますが、それでも今回の事件は私の心をざわつかせました。

身近に感じてしまっているのです。

 

「どうしてその子はこの世に生まれてきたのか。

何のためにと。

仏教を知らせるためにこの世に生まれてきたのだど言うこともできるかもしれない。

世の無常を知らせるためと。」

 

夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり

和泉式部

 

何が和泉式部にあったか分かりませんが子供が亡くした悲しみは察するににあまりあります。

書いているうちに少し楽になった気がします。

末法は煩悩濁、衆生濁(五濁のうちの2つ)※1の時代になるとお釈迦様が予言されています。

人間の劣化が進んでいるのかもしれません。

仏説まことと言わざるを得ません。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

※1

五濁

末世においてあらわれる避けがたい五種の汚れのこと。

①劫濁(こうじょく)。時代の汚れ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。
②見濁(けんじょく)。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。
③煩悩濁(ぼんのうじょく)。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)等の煩悩が盛んになること。
衆生濁(しゅじょうじょく)。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。
①命濁(みょうじょく)。衆生の寿命が次第に短くなること。


阿弥陀経
舎利弗、われいま諸仏の不可思議の功徳を称讃するがごとく、かの諸仏等もまた、わが不可思議の功徳を称説して、この言をなさく、〈釈迦牟尼仏、よく甚難希有の事をなして、よく娑婆国土の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信の法を説きたまふ〉と。

舎利弗、まさに知るべし、われ五濁悪世においてこの難事を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信の法を説く。これを甚難とす」と。