最近、統一教会が世間を騒がせています。
一部では安倍元首相が殺害された原因が統一教会と言われています。
殺人犯は、統一教会により家族の財産をむしりとられ、一家崩壊に至った原因は、安倍元首相が統一教会を庇護しているからだと逆恨みをしたとも言われています。
芸能人の合同結婚式と言い、霊感商法と言いいろいろ問題がある団体です。
教義等については漫才コンビ、オリエンタルラジオの中田が「中田のyoutube 大学」で詳しく説明していますので興味がある方は見てください。
一つだけ言わせて頂くと、洗脳のプロセスはこういうふうに行うのかということがわかります。
1980年代は各地の大学に原理研という名前でサークル活動されていました。
勝共連合とも言われていました。
勧誘は活発に行われていました。
統一教会に入っていつの間にかいなくなったという噂も聞いたことがあります。
一方、宗教に限らずスポーツなどをはじめとする様々な団体が世の中にたくさんあります。
それぞれ皆さん人生を楽しんでいます。
宗教もある意味仲間と一緒にいると連帯感がうまれ楽しみの場所となります。
それが統一教会の場合でも同じだと思います。
そういう視点から考えると人はどこかに所属していることによって安心が得られると思います。
仲間が大事になってくるのです。
裏を返せば自分が仲間の一人と認識することによってアイデンティーが満たされます。
自分が一番大事なのです。
逆に友達もいない一人でいると仲間はずれになったり孤独に陥ります。
自己肯定感も低くなりがちです。
誰かに認められることもないと生きているのがつらくなります。
そんな状態に仲間からそこにいて良いんだと言われるとカルトであろうがなんであろうがしっかり握ってしまうことでしょう。
人はそれほど強くはありません。
考えてみると私もいろいろな団体に所属しています。
まずは家族です。
次に仕事です。
そして趣味の団体。
さらに宗教関係の団体とこれだけでも4つの団体に所属していることになります。
それぞれの団体でそれなりの活動を行い私の存在を承認されていると思っています。
もし、一つも無いとしたらどうでしょうか。
やはり不安でしかないと思います。
学生が学校を卒業して就職できないとしたら不安で仕方ありません。
みんな必死に就職活動をしています。
どこかに所属したいのです。
所属すれば安心して会社の仲間と飲み歩いて憂さを晴らすことができます。
しかし、一人だったらどうでしょう。
ところが仏教に関してはお釈迦様は独り立ちせよと言われます。
「犀の角のようにただ独り歩め」
75首あるのですがこのなかのひとつにこういうのがあります。
「仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また、子らに対する愛情は甚大である。愛しき者と分かれることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め」
仲間といれば楽しいのです。
そこには遊び戯れ歓びがあると言われます。
また、家族は特にそうです。
そこを離れ独りで歩めと言われています。
無理ですね。
とてもできません。
出家者は特にそうでなければならないのでしょうが、今の時代にはほとんどいないと思います。
在家においても一人で歩むのは大変です。
そうは言っても独りで歩むことが出来たらこんな強いことはありません。
何者にも遮られることなく自由に進むのは楽なんでしょうね。
多数派に所属していれば安心感もひとしおでしょう。
でもそこで本当の自由が得られるとは限りません。
何かを得たら何かを捨てなければなりません。
この世の中のことは、結局何か持っているようで持っていないのです。
有無同然という言葉があります。
やはり、仏教は本質的に厳しい教えですね。
同じ仏教でも浄土門の教えは本当に私のための教えです。
これが無ければ私には安心も何もない人生になってしまいます。
こんなことを言っては何ですが、
「あって(遇って)よかった南無阿弥陀仏」
です。
阿弥陀様と一緒なら「犀の角のようにただ独り歩め」も出来るかも??、いや、やっぱり無理ですね。