映画 「ツレがうつになりまして。」 を見ました。
とても良い映画でした。
考えさせられることが多くありました。
個人的には何人か知っているので症状など良く理解できました。
うつが治癒することを寛解(かんかい)といいます。
普通病気が治れば全快と言いますが、精神病についてはそういういい方はしません。
再発率が結構高いので治っている状態がしばらく続いているという意味らしいです。
「ツレがうつになりまして。」のツレさんは今は寛解しているそうです。
それで時々考えるのですが仏教はうつに役立つのかと。
実際、仏教は厳しい教えです。
結論から言うととてもウツ状態の人に話しても伝わりません。
無理です。
そっとしておくのが一番です。
悲しみにくれている人には冷たい北風は辛すぎます。
暖かい日光が必要なのです。
そういう意味でいうと「そのままでいいんだよ」という言葉は本当にありがたく思います。
「そのままでいいがな」 相田みつを
汝一心正念にして直ちに来たれ 善導大師
本願招喚の勅命 *1
慈悲の心と言ってもいいのだと思います。
どんな人も生きていていいんです。
そうは言っても犯罪を犯した人は罪を償わなければなりません。
残念ながら自分の撒いた種は必ず生えてくるのです。
そこは造悪無碍に走ってはいけません。
お釈迦様はおっしゃいました。
「最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほうがすぐれている。」
ダンマパダ ブッダの真理のことば・感興のことば (法句経)
法を聞く人生は法を聞かない人生よりも価値があると。
何のために生まれてきたのか、それは法を聞くために生まれてきたのです。
法とは真実です。
そんなものこの世の中にあるものかと思う方も多いと思いますが、私は真実がこの世の中にあると思います。
永遠の過去から生死を繰り返し今も迷いの世界にいる私です。
それが真実です。
そのことを仏教が教えてくれました。
阿弥陀仏とのご縁で知ることが出来ました。
病気がよくなってから法を聞けば良いのです。
「いや、治らない病気で苦しんでいる人もいるでしょうが。」
そういう人には別の手立てが用意されています。
臨終説法です。
うつは病気です。
体を休めよというサインです。
病気になったら無理せずに休むことだと思います。
いろいろ大変な世の中です。
生きていくためにはそんなこと言ってられないと思うかもしれませんが、今の日本はいい国です。
無責任な言い方かもしれませんがなんとでもなると私は思います。
「ツレがうつになりまして」を見てそんなことを思いました。
*1
しかれば南無の言は帰命なり。帰の言は、[至なり]、また帰説(きえつ)なり、説の字は、[悦の音なり。]また帰説なり、説の字は、[税の音なり。悦税二つの音は告なり、述なり、人の意を宣述するなり。]命の言は、[業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計なり、召なり。]ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。
教行信証 行巻
現代語
そこで南無という言葉は、翻訳すれば帰命といいます。「帰」という言葉には、至るという意味があります。また帰説(きえつ)と熟語した場合、説は「悦(えつ)」と同じ意味になって、悦服(えっぷく)のことで、「よろこんで心からしたがう」という意味になります。また帰説(きさい)と熟語した場合、説は「税(さい)」と同じ意味になって、舎息(しゃそく)のことで「やどる、安らかにいこう〔憩〕」という意味になります。
説の字には、悦(えつ)と税(さい)の二つの読み方がありますが、説(せつ)と読めば「告げる、述べる」という意味で、人がその思いを言葉として述べることをいいます。「命」という言葉は、業(はたらき)、招引(まねきひく)、使(せしめる)、教(おしえる)、道(目的地に通ずる道。また「言う」の意)、信(まこと)、計(はからい)、召(めす)という意味を表しています。
こういうわけですから「帰命」とは、衆生を招き喚び続けておられる阿弥陀仏の本願の仰せです。 (「帰命釈」現代語)