「たとえ天地がひっくり返っても、阿弥陀様のお慈悲だけ変わりはない」
常にそう言っていたお寺の住職がいたそうです。
お寺で子供たちが遊んでいても何かあるたびに言われていたようで子供たちの記憶に残っていました。
子供たちは「何を訳の分からないことを言っているのか」と思っていました。
何年か経って子供たちが大人になって集まったとき住職の話が出ました。
色々人生の苦労を味わって来て、あらためて住職の言葉を思い出したとき「本当にその通りだな」と言われたそうです。
この話を聞いたとき余程ご縁のある人たちだなと思いました。
小さいときから知らず知らずのうちにお育てにあずかっていなければ大人になったところでそうは思わなかったでしょう。
人生の辛酸を舐めさせられ、嫌でも苦しみを感じながらも生きていかねばならないとなったとき何が支えになるのか。
今の時代は不幸な時代です。
嫌でも何でもとにかくお寺に行かされていた人は身を通して仏教が染み込んでいくのです。
ところが今はお寺はただの景色になっています。
人生の苦しみを解決してくれるところでは無くなっているのです。
「大草原の小さな家」というテレビ番組がありました。
日曜日になると家族揃って日曜日礼拝に行くのです。
帰り道に村の皆とおしゃべりをしながら夜はディナーを食べます。
当然神に祈ることを忘れません。
映画「ワイルドスピード」にも食事の前に祈る場面がよく出てきます。
町中のレストランで食事の前にいただきますの挨拶をしている姿をあまり見かけません。
そう言う自分も時々忘れています。
五濁悪世の時代です。
煩悩濁です。
政治の世界も嘘を平気についている人が沢山います。
近隣諸国では世界に嘘を撒き散らして平気です。
ある指導者が戦争の時、「我が国は人口が多いのだから多少死んでもどってことない」と言われたという話を聞いたことがあります。
とんでもないことです。
他人の命など何とも思っていないのです。
今日一日の糧を頂いたことに感謝している人はどれだけいるでしょう。
自分も含め、自分さえ良ければそれで良いと思っている人ばかりです。
まことは何処にあるのか。
私たちはそんな世の中に生きています。
「たとえ天地がひっくり返っても阿弥陀様のお慈悲だけは変わりはない」
有り難い言葉です。
このご縁に遭わせていただいた幸せを本当に希有なことと思っていない自分は情けない限りです。
それでも今この呼び声は私に響いているのです。
そして、皆様お一人お一人にも同じように響いているのです。