とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

勉強会の感想

今回は、退会者3人の感話を行いました。
いろいろ考えた結果でしたが、結構好評だったので、またやろうかとも思いました。
私を含め、3人それぞれの今のところを色々な話を交えて話されました。

高森会の会員に成った理由や、退会した経緯、そして、聞法で苦しんだところなど、それぞれの求道を話し、今、伝えたい話などをしていただきました。
そして、今、ここでの阿弥陀様の救いを話していただきました。
先延ばしすることなく、今、出会って欲しいとのメッセージが有り難かったです。

私は、感話の最後に梯先生のお言葉、今、ここで、仏に遇う、その事を話させていただきました。
お釈迦様のお言葉は、生きて今、私に届いているのです。
仏様にお目に掛かりたければ、お聖教を読むことです。
そこに仏様はいらっしゃります。

参加者の感想も意外と良かったので、結構嬉しかったです。

幸い、勉強会を邪魔されることなく無事終えることが出来一安心です。
本当に撮影担当も決めてビデオカメラも用意していました。
実は、同じ日に高森会のW講師が名古屋で話をしていたようです。
まあ、どんな話か想像はつきますが。

それから、参加された方で希望される方には会計報告をいたしますので私までメールしてください。
基本的に今回の参加費はすべて次回の勉強会の費用に回しています。
私を含め感話をした3人は、参加費も払っています。

今回、連絡を頂きながら都合で参加出来なかった方もいらっしゃいますが、
どうか気軽に参加してください。
個人情報は、必ず守ります。
安心して参加出来る勉強会をこれからも開催したいと思っております。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

勉強会のお知らせ

とくよしみね からのお知らせです。

近年夏に、勉強会を行っていましたが、今年は事情がありまして先生をお呼びすることが出来ませんでした。
そのため、どうするのか考えていましたが、今回は退会者の三人による感話を行いたいと思います。
場所は、今までメールでのお知らせをしていましたが公開します。
日時は8月26日の日曜日です。
場所は、愛知県刈谷市産業振興センターです。
時間は10時から予定しています。
どなたでも参加可能です。

ただし、妨害等される場合は撮影の上それなりの対応をさせていただきますのでご了承願います。

よろしくお願いします。

とくよしみね

今日褒めて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中

今日褒めて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
 

この歌は、一休禅師の歌です。
一休禅師はこのほかにも沢山の歌を詩っています。

我こそは屁たれ坊主よ芋食うて 仏(ぶっ)と消えなん身こそ安けれ


世の中は食うて稼いで寝て起きて さてそのあとは死ぬるばかりぞ


一切の衆生と仏へだてなし 隔つるものは迷い一念


鬼という恐ろしものはどこにある 邪見な人の胸に住むなり


門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし


袈裟が有り難く見えるのは、在家の他力本願


女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

 

他にも沢山の歌を書いています。
なかなか微妙な歌もあります。
本当に自由な人だったんですね。

個人的には、「 今日褒めて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中」を読んであらためて本当だなと思っています。
自分を振り返って、自分に都合のいい人は持ち上げて、自分に都合の悪い人はけなし、
どうでもいい人はほったらかしです。
それを瞬時のうちに行い何も反省もしません。
それどころか悪く言っていた人が自分に良くしてくれればとたんにいい人に早変わりします。
煩悩具足の凡夫そのものです。
仏語に虚妄無しですね。(一休禅師の言葉を仏語に思っています)

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同級生が亡くなりました。

同級生が亡くなりました。

ご主人が先に亡くなり、そのショックで暫くして私の同級生が亡くなりました。

同級生のお父さんもお母さんも良く知っている人です。

お悔やみを言いに言ったら、子供が先に亡くなるのは辛いと一言言われました。

私は、どうか力を落とさないでくださいとしか言えませんでした。

行きたくなかったのですが、行かなければならないと思っていました。

阿弥陀様から命を頂きながら惰眠をむさぼっている私に鉄槌を下されました。

たまらん。

辛い日でした。

 

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木村無相師

  念仏者といわれ、念仏詩人ともいわれた木村無相師が亡くなられたのは昭和五十九年一月六日(八十歳)です。
  無相師は明治三十七年に熊本県に生まれ、幼い頃父親の仕事の関係で両親に連れられて満州にわたりました。しかし、そこでの生活がイヤになり、十四歳の時、家を出て平壌に行き、やがて十七歳の時、日本に一人で帰国します。
  二十歳の頃、ふっと自分の内心に目が向き、両親を怨む自分の根性のひどさに驚いて道を求め始めました。
  二十五歳から二十九歳までフィリピンのプランテーションで働いていた時、「オレの助かる道はどうやら仏教の中にあるようだ」と見当をつけ、帰国して四国遍路に出、やがて高野山に上り真言宗の修行に励まれました。
  高野山では自らへの厳しい修行とともに専門道場にいる若い修行僧の世話をされました。
 しかし、真言宗の自力修行に行きづまり、真宗を求めて真宗の寺で勤めたりもされました。時にはスランプに陥り会社の事務員をされたこともありましたが、思い直して真言宗の修行に戻り、それがまた壁にぶつかって再び真宗に向かうというような、真言宗真宗を三度も往復されたのです。      

 しかし五十歳半ばになって 「自分のようなお粗末な人間にはもう真宗しかない」 と心が決まりました。その頃の無相師の句に、  

 「秋彼岸 しみじみおもう 身のおろか」

というのがありますが、この頃の心境がよく伝わってきます。
  それで五十七歳の時、真宗を一筋に聞ける場所を求め、東本願寺の同朋会館の門衛になって真宗聴聞に励まれました。
  こうして無相師の真宗聴聞一筋の生活がはじまりましたが、それはやがてお念仏中心の聞法生活になっていきました。六十歳半ばを過ぎた頃の詩に、  

 「道がある 道がある たった一つの道がある  ただ念仏の道がある  極重悪人唯称仏」

  というのがありますが、それまで真宗聴聞を続けても、真宗の説かれ様はさまざまであって、これというはっきりとした真宗求法の要が定まらなかったのですが、六十歳半ばになって、文字通り念仏往生の道に順ってお念仏を申していくという道が定まったのです。       

 念仏寺の土井紀明師は木村無相師との最後を以下のように書かれています。
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 亡くなられる前(昭和五十八正月三日)にお会いした時も、大変苦しい息の中から遺言のように言われました。

 『凡夫に属することは何もいらんの。普通の無仏法。無信仰の人と同じでええの。
少しでも真宗的らしい気持ちになろうとすること、色気や、そんなものは・・・。
信心の得益というのは、何か信心いただいたら特別なことがあるように思うけど、その錯覚を取り除いてくださって、信心いただいてもいただかなくても、全く素人と同じじゃということを瞭(はっ)きりさせてくださるの。
じゃから普段の生活に迷いがなくなる。
これが人生であり、これが自分であるということを瞭きりさせてもらえる・・・信心ぶらんでそのまま死なしてもらえるのじゃ。
信者ぶらんでそのまま生きさせてもらえるのじゃ。
それが信心の得益や・・・。
信者になろうとするから苦しむの。
信者になれんまんまで上等なの。
それが最高じゃ。
今から聞いて信者になろう一生懸命になる。
信者になろうと思わんでもええの。
本当に気休めでない。
ごく普通の平凡な人として終わればええの。
・・・六十年の聞法求道の結果は、お念仏一つ。
それも、ただ念仏せよの仰せのままに称えるということだけでな、それより外はない、念仏一つ、念仏せよの仰せ一つ。
病院にいると有難いことに凡夫の方には何もないんじゃということが思い知らされる。苦しければ苦しいまんま、お念仏だに申さず終わらせてもろうてもそれで充分。
極楽があろうが無かろうが参らせてくれようがくれまいが、それは如来様の仕事じゃ。わしの仕事と違う。
お聞かせをいただくだけのこと』と、臨終差し迫ったなかで、わが計らいで聞こうとしても聞くことのできぬお言葉を賜ったのであります。
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 土井紀明師も20年以上の求道の末、阿弥陀様の御本願にお遭いしています。
 人それぞれの求道はあります。

 今回はほとんど念仏寺のブログから引用しました。
 土井紀明師の「仏に遇うまで」という本の中にも木村無相師との出会いが書かれています。
 この土井紀明師の師事された先生方がまたすごいのです。
 ご縁があれば読んで見てください。

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不飲酒

不飲酒とは文字どおりお酒を飲んではいけないと御釈迦様の教団内で決められた戒律の一つで、その後あらゆる仏教教団で採用されて行きました。

もともとの経緯は以下の通りです。

 

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世尊は支提国(しだいこく)に遊行してバッダヴァティカーに行こうとされた。

村人は世尊に、アンバティッタには螺髻梵志(らけいぼんじ)の庵に毒牙をもった龍がいるので行かないようにと言った。

世尊は黙然として遊行されて、バッダヴァティカーに到着された。

その時、サーガタはアンバティッタの螺髻梵志の庵に行った。

龍は火を吐いたが、サーガタも火焔三昧に入って火を吐き龍を調伏した。

世尊はバッダヴァティカーに随意の間住されてから、コーサンビーに向かって出立された。

コーサンビーの優婆塞(うばそく)たちは「尊者サーガタは龍と戦った」と聞いて、世尊を歓迎してサーガタのところに行き、「何ものが得難くて好ましいですか、私たちは何を調えましょうか」と言った。
六群比丘(ろくぐんびく)は「カーポーティカーという酒は純浄にして、得難く好ましいものである。これを調えよ」と言った。

そこでコーサンビーの優婆塞たちは家ごとにカーポーティカーを用意して、乞食に来たサーガタにこれを飲ませた。

そこでサーガタは町から出るとき門口で倒れた。

世尊は多くの比丘と一緒に町を出るとき、倒れているサーガタを見いだし、僧園に持って帰った。

サーガタは寝返りを打って、世尊に足を向けた。
そして世尊は「スラー・メーラヤ酒を飲むは波逸提(はいつだい)なり」と制せられた。

VinayaPAcittiya051(vol.Ⅳp.108)

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龍が火を噴いて住民を困らせていたので、サーガタ尊者が神通力で龍を退治しました。

そのお礼に何か供養したいと住民が言いました。

サーガタは断ったのですが、六群比丘が珍しい酒があるそうなのでそれを供養して欲しいと頼みました。

サーガタは供養を受け倒れ、釈尊が連れて帰ってもそのままぶっ倒れて仏に足を向けて寝ていたと言うことです。

酒を飲みすぎて倒れたということです。

どれだけ神通力があろうが酒に酔っては、その力が働かなくなってしまうのです。

 

ここで六群比丘というのが出てきますが、この人達は教団内の不良な人たちのことです。

教団にいながら戒律も守ることが出来ずに煩悩に流されている人のことです。

この六群比丘に誘いに乗ってしまったということです。

 

個人的には不覚にも先日、記憶が途切れるくらい飲んでしまい何を言ったか半分くらいしか覚えていませんでした。

そこまで酔っ払うのはなかなか珍しく恥ずかしい想いをしました。

誰にも誘われたわけでなく自ら行ってますので、六群比丘と同じです。

そんなんでとても仏教者とは言えないですね。

浄土真宗でなかったら、阿弥陀様でなかったらとても私などは救われる手立ては無かったでしょう。

 

酒は飲んでも、飲まれるな

 

当たり前のことが出来ていません。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

他宗を非難するつもりはありませんが・・・・

他の宗派のことをあれこれ言うつもりは無いのですが、最近私の周りでやたら幸福の科学の人が多くなりました。

議員に立候補するからよろしくなどと突然家を訪問してきます。

地方議員(市町村議員)も既に全国で十七名ほどいるようです。

幸福の科学の冊子も置いていくので何冊か読みました。

霊言という言葉を使い、過去の偉人が降臨し大川隆法氏を通していろんな提言等をされています。

また、体験談も沢山書かれており、現世利益のことが沢山書かれています。

既にHSU(ハッピーサイエンスユニバーシティー)も出来ています。

高等学校もあります。

幸福の科学」という冊子や、「ザ・伝道」という体験誌もあります。

内容は高森顕徹会が出版している「とどろき」よりも充実しています。

ほとんどが三帰誓願(仏法僧に帰依する=幸福の科学に入信する)することにより幸せになった、あるいはなるという話ばかりです。

そして、大川氏の話はほとんど先人達の人生訓が多いです。

冊子には覚りを開くとかそういうことは何処にもありません。

きっと会に入っていくと序列がはっきりしてくることでしょう。

なにせ、大川氏の新しい奥さんは坂本龍馬の生まれ変わりらしいので。

 

ところで、今回は何が言いたいかというと私という者は苦しい事があると何でも掴もうとするだろうということを幸福の科学の冊子を読んでいて気がつきました。

子供の頃、母親が占いに凝っているのに引きずられ手相や占星術などの本を読みました。その本の影響を受けたのかどうか知りませんが、行動が時にそういうものを基準にすることがありました。

当然、日の善し悪しを考えたり、方角を気にしてみたりしていました。

ですから、浄土真宗のみ教え、お釈迦様のみ教えに遇わせていただいていなかったら、いまごろ幸福の科学などを有り難く拝聴していることでしょう。

人生の苦しみにぶち当たった時、藁をも掴む自分がいますから。

それくらい今の苦しみから解放されるであろう言葉が沢山幸福の科学の冊子からも伝わるのです。

要するに一般的に感動する言葉が散らばっているのです。釣り餌ですね。

一度はまってしまったら、そこから抜け出して本当の真実と向き合うことは本当に難しいことだなと思います。

刷り込まれた知識や経験をリセットすることはほとんど不可能に近いことかもしれません。

 

 高森顕徹会の会員も同じ状態だと思うのです。

 餌につられて一度入ってしまって、何年もそこにいるとそこでの考え方や行動規範が身体に染みついてしまいます。そこを抜け出て自分のいる世界を見直すことは、勇気の要ることであり不安なことなのです。

片目の猿の仲間の中で一匹だけ両目の猿になるのですから。

そこで独り立ちさせてくれるのが仏様、阿弥陀様のお力だと教えて頂きます。

独り立ちと言っても常に阿弥陀様が付いておられるのです。

一人でいて一人でない、ありがたいことではないですか。

事実を事実としてそのまま見ることを教えて下さるのです。

誰よりも正常だと思っている自分が実は迷いの塊であると教えてくださるのです。

虚仮不実の世の中と非難する自分が実は虚仮不実と気がつかせていただくのです。

光明無量、寿命無量の南無阿弥陀仏にそのお力があるのです。

その南無阿弥陀仏が今私に呼びかけておられます。

 

畢竟依に帰命せよ。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏