母親が亡くなった。
呼吸が止まり心臓が止まった。動かなくなった。
ただ、その事実を、その現象を眺めるしか出来なかった。
顔色が変わり、体温が低下し、もう、なにも返事をしなくなった。
南無阿弥陀仏を何度称えても、届くことが無くなってしまった。
己の力不足を痛感させられた。
死を目の前にしたらすべてが崩れるのを目の当たりにした。
ただ、ただ、苦しいだけで、それ以上もそれ以下も無い。
いま、御法を聞かなければいつ聞くのか。
いま、南無阿弥陀仏を称えなければいつ称えるのか。
死後を否定し、仏教を否定するのは勝手だが、かならず今生の精算を後生でさせられる。そのとき始めて人中の善知識を思い出すのだろう。
そして、後生を否定する根拠が全くない。それ以上に、私は後生を肯定する心が強い。
因果の道理の通り、次の世に生まれていく。
どこへ行くのか知らないが、阿弥陀様にお任せするだけである。
息の切れるまでお念仏とともに生きるだけである。