今しか無い。
病気になってから聞けるものではない。
元気な今、三度三度のご飯がおいしい今、この時にしか聞くことは出来ない。
臨終になって聞ける人は希である。
臨終、苦しい時、お念仏さえ忘れてしまう。
苦しみだけしか無い時に思い出すことさえ出来ない。
今、三度三度のご飯が美味しい時に聞かなければ間に合わない。
しかし、皆は私の言葉を聞いてくれない。
後生があるぞ、大変だぞ、必ず落ちるぞ。
今聞け、今聞け、阿弥陀様は喚びづめ、叫びづめ。
その声が、届かない、力が無いのだ、私に力が無い。
阿弥陀様のお徳を説く力が私に無い。
迷っている人には伝わらない。
しかし、私も同じように迷って、迷って、何度も何度も六道を経巡ってきた。
永遠の過去から、始まりの無い始まりから、「無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし。」のとおり迷いのまっただ中。
救いようが無いのが私なのに、その私めがけて南無阿弥陀仏が届いている。
そのことに今気づかせていただいている。
そういう世界がある。
必ず聞ける。
どうか聞いてください。
阿弥陀様の御本願を。